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霧に揺れる花々~平標山

2013年6月18日

谷川連峰西端の花の山「平標山」1984mはいよいよその時期を迎えた。
梅雨時なので天候は不順であるが、花はこちらの都合に合わせて待っていてはくれない。
15~16日と11人のグループで訪れた。

高温多湿という山登りにはできれば避けたいコンディションだったため、疲労を感じて平標山の家に到着。
それを待っていたかのように予報通り雨が落ちてきた。
大源太山の往復はそうそうに断念し、就寝までの長い時間を過ごすための宴会が始まった。
他の客はみなキャンセルしたそうで、図らずも貸切となった。

この小屋の灯りは今では貴重な存在になったラムプである。

Dscn1159 ランプの灯りはなぜ人の心にこんなに優しいのだろうか。
だから詩や歌にたくさん詠まれている。
その中から新藤千恵さんの「洋灯(ラムプ)を・・・・
      花びらのほやの中で
      夕焼雲の一片(ひとひら)が
      時折は風に揺らいで
      静かにともっている・・・・・・

夕食後、小屋主の2代目としばし歓談。
とりわけ印象に残ったのは、6月から7月にかけて三国峠から小障子の頭までにかけての長い県境稜線を通る登山道の草刈作業のことであった。
時には避難小屋に3泊したり、やせ尾根での転落をしたりで、人知れぬ困難が伴う作業なのにほとんどボランティアである。
そんな苦難に思いを馳せることのできない鈍感人間がいて”お前さんが早く草刈をしないから、朝露で靴がビショヌレになってしまった”と文句をつける輩がいるそうだ。
山を歩く人間の風上にも置けない。
短腹な私だったら”そんなこと言う奴は山に来るな!”とどやすであろう。
もちろん人格高潔なこの若い2代目はそんな振る舞いはしないが・・・。
 

2日目、夜来の雨が上がり、高曇りながら四囲の山の姿は良く見えていた。
なのに、いざ出発という時間になると濃霧が立ち込め、気を滅入らせる。
せめて、平標山と仙ノ倉山の鞍部に広がるお花畑までは行きたいと、身支度を整えてスタート。
歩き始めるとイワカガミが盛りだが、ありふれているので無視。

152_large 雨と風の対策にはやはりゴアテックスウエアでしょう。

Dscn1170 湿原に群落するイワイチョウ~秋の草黄葉が素晴らしい。

158_large コバイケイソウ~多年草で3年に一度くらいの割合でしか咲かない。

168_large 小屋から小一時間の山頂~濃密な霧につつまれ何も見えない。

Dscn1164 上越国境稜線は強い風と濃霧。

その山頂から東へ下ると、その緩傾斜面は一面のお花畑であった。
さすが「花の平標山」の面目躍如である。

Dscn1160 ここでは数で他を圧倒する群落をつくるハクサンイチゲ。

Dscn1162 慎ましやかに可憐なハクサンコザクラ~今年も逢えて嬉しい。
赤い茎を伸ばすのはミヤマダイコンソウ。

Dscn1165 嬉しさのあまりもう一枚。

Dscn1163 淡いクリーム色のチョウノスケソウ

203_large こちらはアカモノと、花々が妍を競う。

Dscn1168
戻るころから天候回復の兆しがみえてきたが時すでに遅し、である。

皆に勧めて来た山だから、ここでしか得られない展望を堪能してもらえなかった心残りがあるが、これもまた山歩き。
それぞれの人に、それぞれの思いを刻んでもらえたら・・・それで良し!としよう。

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登山」カテゴリの記事

コメント

出来れば青天の日に臨みたい登山・・・スケジュールの都合でこれは難しいでしょうね。特に6月は。。。

どの世界にも自分本位な人間はいるんですね。余程広い心が無いと山の管理は務まらないということでしょうね。。。

天気には恵まれなかったようですが、それでもこんなに可憐な花々が迎えてくれる、お仲間との共同体。いいものですね。。。

投稿: おキヨ | 2013年6月18日 (火) 11時42分

おキヨ様
昔から登山者には悪人はいない、というように言われています。
実際、お金と時間を使って苦しい思いをしに行く、という馬鹿げた行為をするのはお人よしでなければ出来ないことです。
しかし、この世界も社会の縮図、多くはありませんが、どうかなと思うような行為を平然とおこなう不心得者は存在するのです。
そこへ行くと、自慢じゃありませんが、私たちの会は実に紳士・淑女揃いです。
おまけにやたらにお酒が好きで、飲むほどにますます元気を増す、飲めない私はいつも蚊帳の外に追いやられるのがシャクです。

そんな仲間に恵まれ、老いの坂道を下っていることも忘れ、愉快なひと時を持てる幸せを享受しています。

投稿: 風花爺さん | 2013年6月18日 (火) 17時12分

山小屋のともしびはラムプ、今も使われているのですね…。
子供の頃、家に古いランプがあり、それがとても好きでした。
ロマンチックな想像をして眺めていると、「ほや掃除が大変なのよ」と母が現実に引き戻すようなことを言うのでした。
その頃はもう、普段の生活にランプが使われるようなことは、ほとんどなかったのですが…。

新藤千恵さんの「洋燈(ランプ)」いいですね。
本棚を探してみると、ありました!
この詩の終わりの方ですが

「……
それはあたかも神のように
ただ心によってしか見ることが出来ない
もはや
その永劫の燃焼のためには
命死ぬことを怖れしめぬ
不思議の洋燈であった」

平標山のお花畑には、可憐な花々が風に揺れて
写真を拝見するだけでも心が和みます。

登山道の草刈のお話には、深く考えさせられました。

投稿: 淡雪 | 2013年6月19日 (水) 23時54分

淡雪様
ランプの灯りは郷愁を誘いますが、現実にはお説の通りほや磨きが大変な作業らしいですね。
今は灯油の精製度が上がりほとんど煤が出ないので磨くのが楽になった、と小屋主が言っていました。
新藤千恵さんの詩をよく見つけられましたね。
つでに深尾須磨子さんの詩を紹介しておきましょうか。
   空につづく夕べの窓
   ランプを点(とも)してあなたを呼べば
   何万光年の彼方から
   星がおりてくる・・・・・・

山の世界にはストイックなところがあって、一般社会よりはモラル高いと思います。
それでも社会のモラル低下と比例するように、考えられないような言動をする人が増えていることは現実のようです。
しっかりした山岳会などに所属していれば教育されるのですが、そこにいないアウトサイダーは訓練されないままに山に入りますから、その中に混じる少数の不純物が顰蹙を買う振る舞いをしてしまうのでしょう。

高山に咲く花の魅力は言葉にできません。
生育環境の厳しさに負けずに精一杯生きる健気さが人の心を打つのでしょうか。
高地の透明な大気を吸い、光を受けて咲く高嶺の花には、艶やかで、大輪の人工的な栽培種とは異なる魅力があります。

投稿: 風花爺さん | 2013年6月20日 (木) 10時05分

深尾須磨子さんの詩、ご紹介ありがとうございます。
おかげさまで初めて知りました。
新藤千恵さんのは、20代のころから大切にしている詩集の中にありました。
ランプの写真を見て最初に思い出したのは、佐藤春夫の「少年の日」です。直接ランプを題材にしたものではありませんが「野ゆき山ゆき海辺ゆき」で始まり「そのラムプ敷たがものぞ」で終わりますね。
もっと年を取り、本も読めなくなったとき、記憶している詩によって慰められるような気がしています。

>山の世界にはストイックなところがあって、一般社会よりはモラル高いと思います。

「山のパンセ」を読んだとき、随所でそのように感じました。
ストイックでとても繊細で…他者や自然に対して思いやりに満ちた厳しくも優しい世界なのでしょうね。

やはり苦労して高山に登り会いに行くのが、花たちに対する礼儀でしょうか。登れない私には知り得ない、言葉にも出来ない程の感動を、写真や記事により想像するのみです。それでも充分感動します。感謝と共に!

投稿: 淡雪 | 2013年6月20日 (木) 13時55分

淡雪様
シリトリみたいになりますが、佐藤春夫の詩ではご紹介の「少年の日」も私が愛誦する一篇ですが、同じ詩集で一つ前の「ためいき」も同じように好きですね。
  紀の国の五月なかばは
  椎の木のくらき下かげ・・・

美味しいたべもの、飲みものを口にできる、という動物的な喜びだけに止まらず、感動的な詩や物語、美しい絵画、心を震わせる音楽、そして映画。
人間てなんと恵まれた生き物なんでしょうね。
そう思うだけでも生きていけそうな気がします。

確かに高嶺の花との邂逅から得られる喜びは、小さいながらも努力したことへのご褒美であることなんでしょうが、例えば乗鞍岳などは乗り物を降りて、平らな道を数分歩けば誰でも高山植物の女王とされるコマクサに出会えるのです。
努力という代償なしでもやはり美しいことには変わりはないように思えます。  

投稿: 風花爺さん | 2013年6月20日 (木) 16時09分

風花さん 、こんばんは

ハクサンコザクラはほんとに逢えて嬉しい花ですね~
栂池には良く行きますが、例年今頃から開花します。
山歩きは楽ではありませんが、山野草には癒されますね。


投稿: | 2013年6月23日 (日) 18時52分

岳様
ハクサンコザクラは湿性植物ですから栂池にも咲くでしょうね。
栂池自然園は大のお気に入りの場所です。
白馬三山を目の前にする展望は第一級だとおもいます。
残念ながら花の時期には行っていないのです。
妙高の高谷池、白山、会津駒などで素晴らしい群落に会っていますが、何度見ても飽きません。

山の疲れを忘れさせてくれる要素はいろいろありますが、高嶺の花はその最たるものですね。

投稿: 風花爺さん | 2013年6月23日 (日) 20時01分

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