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2013年6月

霧の彼方~回想の星尾峠

2013年6月30日

星尾峠~この素敵な名前を持つ小さな峠は、荒船山の一番高い「経塚山」から南に下った鞍部である。

群馬県西部と中信東部が接する県境稜線には多くの峠が越えているが、大方は車道が峠下を貫通していて、歩いて越えたかつての峠は利用されることなく廃道化している。
しかし、経済活動とは無縁の一部の峠は細々と辛うじて往古からの命脈を保っている。
星尾峠はその一つで、登山者に利用される形で今も健在である。

私には51年前に遡るこの峠の晩秋の佇まいが記憶に深く刻まれている。
当時、登山の対象にななっていなかった「兜岩山」のルート開拓の目的で何度か訪れ、その折に必ず星尾峠を通過していた。
小さな峠を挟んだ東と西の表情ははっきり異なり、それがいかにも峠らしかった。

それから半世紀という長い時が流れた。
今はどんな姿を留めているのか、その関心が久しいこと私の頭の片隅に巣食っている。

Img282_6 1962・11・5の星尾峠。

それを確かめるため28日、芳しくない空模様を承知で向かった。
下仁田を過ぎ、内山峠への山道にかかると、とうとう霧雨がフロントガラスを濡らし始めた。
トンネルを佐久側に抜けても状況は少しも好転しない。
それは覚悟のうえでやってきたのだから、荒船不動の駐車場からいつ降りだしてもよいように支度を整えて歩き始めた。
荒船不動からは初めてだがいい峠道だった。
霧に包まれた一人の山道はアッサリと私をタイムスリップさせてくれた。
51年ぶりの星尾峠は、あたかもその間の時間の流れが全くなかったかのように同じ相貌で私を迎えてくれた。

Dscn1238_4 51年前と変わらない峠の姿。

Dscn1239 変わっていることを挙げれば、あの当時には全く無かった「兜岩山」への登山道が通っていることだろうか。
経塚山は峠から一投足である。

Dscn1240 荒船山の最高点「経塚山」
遠景では舟の舳先のように尖っているが・・・。

Dscn1244 扁平な山頂の一隅にクリンソウの自生地がある。
盛りは過ぎていた。
登山道の直ぐ傍らに群落を作っているが、多くの登山者は知らないようである。

再び星尾峠に戻り、群馬県側の大上~線ヶ滝への下り道を探ってみた。
急な斜面にトラロープが下がっていて荒れてはいるが歩かれていることはうかがえた。
2007年9月の台風は西上州一帯に大きな災禍をもたらし、星尾峠から大上への道は再生不能か、といわれるほどの壊滅的打撃を受けた。
それがどうやら再生途中にまで戻ったようである。
晩秋の時期に今度は大上から峠を目指してみよう。

このところ霧の中での山歩きが続いている。
そろそろ青空の下での山歩きがしたくなっている

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小さな要塞「岩櫃山」

2013年6月26日

梅雨時だから仕方がないが、10日も山歩きブランクができてしまった。
筋力低下が早い高齢者の場合、これははなはだマズイことである。
今日(25日)はなんとか半日ほどは天気が持つようなので、急遽近場の
山を歩くこととし、行き先を「岩櫃山」802mとした。
JR吾妻線・郷原(ごうばら)駅の直ぐ後ろに、なかなか見ごたえのある高差200mほどの岩壁を削立させている。

Dscn1236
登山ルートは3つあるが、今日は東の平沢・岩櫃城址から登ろう。

Dscn1222 広い駐車場、簡易トイレ、休憩舎がある登山口。
ここの標高が511mとあるので300mほど登ればよいのであるが、ブランクは覿面(てきめん)で、早々に心拍数が上がってしまう。

Dscn1225 兵どもが夢の跡~岩櫃城址
戦国時代、武田信玄の命を受けた家臣・真田幸隆は、沼田城の支城だった岩櫃城を攻略した。その後、目まぐるしい変遷を経て家康が発した一国一城令によって400年の歴史を閉じ、廃城となった、との故事が記されている。

岩山らしく鎖場をまじえた険阻な山道を登り上げると視界が開ける。
Dscn1226 キレットを隔てて目の前に山頂。

Dscn1227 花の乏しい山なのでありふれた「キジムシロ」を・・・

Dscn1228 山頂直下の鎖場

Dscn1229 山頂~今にも雨になりそうで、展望なし
山麓の集落が真下に見え、自分が下から見るあの200mの垂壁の上に居る、と想像するとその高度感に足がスースーする。

ここからは以前歩いている西への岩尾根を辿る。

Dscn1231 斜上するトラバース

Dscn1232 こんな岩穴を潜り抜けることも・・・

Dscn1233戸隠・蟻ノ戸渡り」のミニ版「天狗の懸橋」
左右どちらに落ちてもヤバイ!

Dscn1234 下から見るとこんなあんばい。

これからは山麓の集落に下りるまで、倒木で登山道が崩壊した危険なところを含めて、逆落としの急な山道となる。

時折小雨がパラつくなか、吾妻線に沿う里道を歩いて駐車場に戻り、とりあえずの「箸休め」のような山歩きを終えた。                                      

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ダンシング・クイーンが還ってくる?

2013年6月22日

梅雨が本気になっているのか、雨勝ちの日々。
よほどのことがなければ山歩きはお休み。
面白いのは、定例的にお訪ねする山関係のブログが一様に更新されていないことを知ると、どなたも同じように、毎日鉛色の空を見上げ、髀肉の嘆(ひにくのたん)をかこっているのでしょうね。
同病相哀れむ・・・か。
もちろん面識のない方々ばかりであるが、皆さんどんな顔をしているのか、想像するのも楽しい。

ところで、ひところ、といってももう40年近い昔のことになるがアバABBAの「ダンシング・クイーン」を耳にしない日はなかったような気がする。

Img278

ヒマラヤ街道を歩いた時、たまたまあるところの昼食で、一人でスェーデンからトレッキングにきていた青年と言葉を交わしたことがあった。
そのとき”アバは日本で一番有名なアーティストである”と言った(つもり・・・)のだが、なにかキョトンとした反応だった。
その時は下手な英語が通じなかった、のだろうと思ったし、確かにそれはそうなのだろうが、最近、そうとばかりと言い切れないようなA新聞の記事に出会った。


1980年前後の世界のポップシーンの中心の一つは「アバ」だったろう。
そんなワールドワイドな「アバ」だから当然お国のスウェーデンでは熱狂的な支持があったのだろう、と誰もが思う。
ところが意外や意外、祖国でのアバは冷たい視線に晒されていたらしいのである。

アバの全盛期のころのスウェーデンは左派の社会運動が盛んで、アバのようなステージ衣装で、ラブソンぐを歌うのはアメリカ的な、軽薄な商業主義の象徴とみなされ、自国では受け入れられなかったのだろう。

私がヒマラヤトレッキングで会話したあの青年も、私の英語が分からなかったわけではなく、アバを認めていなかったのかも知れない。
確かにアバには西欧的な退嬰の匂いがかすかにするから、社会主義とは相性が良くない。

アグネータ+ビョルンとベニー+アンニという2組のカップルの頭文字を組み合わせた「ABBA」が誕生したのは1973年。

Abba1974cx
76年のダンシング・クイーンが全米のチャート1位となり人気は沸騰した。
その時代、高級車「ボルボ」とともにアバはスウェーデンの輸出産業を担っていたのである。

しかし、時の流れは非情で、アバは結成後わずか10年、83年には早くも活動を停止した。
一方の雄、ボルボも2010年中国企業の傘下に入ってしまう。

だが、アバは不滅らしい。
活動停止後も、人気はひそかに持続していて、アルバムは売れ続けているそうである。

思えば私にはあのころのポップスシーンが一番記憶に残っている。
ジョン・デンバー、オリビア・ニュートンジョン、エミルー・ハリス、サイモン&ガーファンクル、ビージーズ、アン・マレー、ジリオラ・チンクェッティ・・・
40前後の男盛り?だった私をそのころに戻してくれるタイムマシーンが彼ら、彼女らである

祖国での冷遇はすっかり過去のものとなり、解散から30年経た今もファンが増え続けていて、「国の誇り」と誰もが口にするまでになったアバ。

再結成も取りざたされるらしく、60歳代になった彼らがもし、もう一度4人でステージに上がることにでもなれば、新たな不死鳥伝説を生むこととなるであろう。

そのときこそ「還ってきたダンシング・クイーン」となる。

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霧に揺れる花々~平標山

2013年6月18日

谷川連峰西端の花の山「平標山」1984mはいよいよその時期を迎えた。
梅雨時なので天候は不順であるが、花はこちらの都合に合わせて待っていてはくれない。
15~16日と11人のグループで訪れた。

高温多湿という山登りにはできれば避けたいコンディションだったため、疲労を感じて平標山の家に到着。
それを待っていたかのように予報通り雨が落ちてきた。
大源太山の往復はそうそうに断念し、就寝までの長い時間を過ごすための宴会が始まった。
他の客はみなキャンセルしたそうで、図らずも貸切となった。

この小屋の灯りは今では貴重な存在になったラムプである。

Dscn1159 ランプの灯りはなぜ人の心にこんなに優しいのだろうか。
だから詩や歌にたくさん詠まれている。
その中から新藤千恵さんの「洋灯(ラムプ)を・・・・
      花びらのほやの中で
      夕焼雲の一片(ひとひら)が
      時折は風に揺らいで
      静かにともっている・・・・・・

夕食後、小屋主の2代目としばし歓談。
とりわけ印象に残ったのは、6月から7月にかけて三国峠から小障子の頭までにかけての長い県境稜線を通る登山道の草刈作業のことであった。
時には避難小屋に3泊したり、やせ尾根での転落をしたりで、人知れぬ困難が伴う作業なのにほとんどボランティアである。
そんな苦難に思いを馳せることのできない鈍感人間がいて”お前さんが早く草刈をしないから、朝露で靴がビショヌレになってしまった”と文句をつける輩がいるそうだ。
山を歩く人間の風上にも置けない。
短腹な私だったら”そんなこと言う奴は山に来るな!”とどやすであろう。
もちろん人格高潔なこの若い2代目はそんな振る舞いはしないが・・・。
 

2日目、夜来の雨が上がり、高曇りながら四囲の山の姿は良く見えていた。
なのに、いざ出発という時間になると濃霧が立ち込め、気を滅入らせる。
せめて、平標山と仙ノ倉山の鞍部に広がるお花畑までは行きたいと、身支度を整えてスタート。
歩き始めるとイワカガミが盛りだが、ありふれているので無視。

152_large 雨と風の対策にはやはりゴアテックスウエアでしょう。

Dscn1170 湿原に群落するイワイチョウ~秋の草黄葉が素晴らしい。

158_large コバイケイソウ~多年草で3年に一度くらいの割合でしか咲かない。

168_large 小屋から小一時間の山頂~濃密な霧につつまれ何も見えない。

Dscn1164 上越国境稜線は強い風と濃霧。

その山頂から東へ下ると、その緩傾斜面は一面のお花畑であった。
さすが「花の平標山」の面目躍如である。

Dscn1160 ここでは数で他を圧倒する群落をつくるハクサンイチゲ。

Dscn1162 慎ましやかに可憐なハクサンコザクラ~今年も逢えて嬉しい。
赤い茎を伸ばすのはミヤマダイコンソウ。

Dscn1165 嬉しさのあまりもう一枚。

Dscn1163 淡いクリーム色のチョウノスケソウ

203_large こちらはアカモノと、花々が妍を競う。

Dscn1168
戻るころから天候回復の兆しがみえてきたが時すでに遅し、である。

皆に勧めて来た山だから、ここでしか得られない展望を堪能してもらえなかった心残りがあるが、これもまた山歩き。
それぞれの人に、それぞれの思いを刻んでもらえたら・・・それで良し!としよう。

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珠玉の一冊『みんなちさこの思うがままさ』

2013年6月13日

肝心の水源地ではおしめりていどの台風3号崩れで蟄居を余儀なくされる。
こんな時は読み止しになっている本のページをくくるチャンスにはなる。

登山と云う行為は人間の行う行為のなかではかなり特異な位置にあるように思える。
単なる趣味とも言い切れないし、さりとてスポーツというのも適切ではない。
道楽というのが一番近いかな・・・。
その特異性の一つ「書く」ことが上げられる。
とにかくやたらに書く~かくいう小生もそのおびただしい星屑の一人であるが・・・。
一つの山に登ったことを、有名、無名に拘わらず公私にわたって書きまくり、発表する。
このような現象は「山」の世界以外には見当たるまい。

その結果として相も変わらず山の本が生まれ出る。
村上龍本と比較するのも愚かであるが、山の本などあまり売れるとは思えないから果たしてビジネスになっているのか、他人事ながら余計な心配をしてしまう。

私のように、やがてゴミと化す運命が明確に見えていながらも買う、そんなあまり賢くない人が何人かはいるのだろう。

そんな折、珠玉のような一冊が世に出た。
1999年、52歳にもならない若さで急逝した池田知沙子さんの遺稿集『みんなちさこの思うがままさ』である。

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著者は浦和に拠点をおく「浪漫山岳会」に属し、利根川源流域や東北の人跡も稀な沢遡行にひたすら没頭する。
ブナの森に分け入り、しぶきを浴びながら深い谷を遡行し、源流の藪を漕ぎ、虫の集中砲火を浴びながらテントで一夜を過ごす、そんな沢登りに夢中である。

Img010

そのほぼ20年にわたる軌跡を、嫉妬したくなるほどの瑞々しい感性で掬い取り、キラキラと弾けるような独創的な文体で奔放に言葉を紡ぎだして綴ったものを遺稿集としてまとめたもの。
それが遺稿集を手にした人の大きな共感を呼び、改めて出版物として陽の目をみることとなった。

かなりの分量の本の随所に、珠玉の連鎖としかいいようのない文章が見られるが、幾つか例を挙げてみよう。
「お酒が欲しくなってくる。どうしてもちょっとだけ必要になる。カップにほんのちょっと満たして、またあきるほど威風どうどうの銅倉尾根にみいる。みいる。ほんのちょっとの菊水を得た銅倉尾根は、二倍にも三倍にもふくらんで私の中に入ってくる」
~菊水を得たのは私なのに、こんなふうに置き換えられる斬新な視点。

もう一つ。
「夢のような山旅であった。会心の山行であった。ひと言もの申したい気分である。『おおい、そこの君。聞こえているのか』青春は遠い日の花火ではない」

Img012
さらに重ねて
いい匂いのする花のことのように利根を思ってみたい。キンモクセイやクチナシの香りが雨上がりの路地にかすかに漂ってくるように利根を語りたい。一輪挿しにフリージアを飾るように利根をよろこびたい」

「私は小さな魚となって、いつしか臆病に樹間を泳ぎ始める」
「木枯らしの鳴る森で、チェロが聴きたい」

山の文章世界では多くの名文家を輩出してきた。
尾崎喜八、串田孫一、山口耀久、手塚宗求さんなど、私が好きな系譜の文章は総じて静謐で、抑制的である。

そこへいくとこの著者の文章はキラキラ輝き、そして弾けている。
一歩誤れば「軽薄」と評されかねないこの種の文体だが、おそらく天稟であろう、シャープで瑞々しい感性が次元の異なる時空へ読者を誘ってくれるのである。

この稀有な才能の早世は惜しみてもあまりあるが、そうでなければ一部の人しかしる術のなかった才能を、不特定多数が知る機会が生まれた、このパラドックスをどう受け止めればよいのだろう。

今は、雨の日の無聊(ぶりょう)をこの本のどこかを気ままに開くことで慰められ、一時の陶酔に浸れることを素直に喜ぼう。

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人は群れ集う~那須・茶臼岳から朝日岳へ

2013年6月7日

梅雨の途中で一時的に晴天が戻ることを「梅雨の中休み」ということはよく知られているが、梅雨入り宣言(今は宣言とは言わないが・・・)して直ぐに晴天が続く場合は、気象観測者の仲間うちでは「梅雨のズル休み」というそうです・・・笑えますね。

疲労が溜まっている感じの脚を少し休めることができるかと思っていたのに、こう晴天続きではズル休みもできません。

と、いうことで3日、那須の山を歩いてきました。
ロープウエイで中腹まで登れる「茶臼岳」には今から40年前、まだ小学校の低学年だった二人の娘を伴い登っ以来になります。

Img276 40年前の家族の肖像

Dscn1130 温泉街への途中から今日歩く茶臼岳(左)と朝日岳

Dscn1152 今日はチャント左右揃っています。

Dscn1131 RW山頂駅から一登りの茶臼岳への途中から朝日岳
平日というのに茶臼岳には人が群がり、ゾロゾロに登っています。
こういうのは私はなかなか馴染めません。

Dscn1136 山頂から北西方向には曾遊の流石山~三倉山

Dscn1140 北に近く、那須で一番高い三本槍岳

Dscn1139 西に白い山並み~とっさに飯豊連峰と思ったのですが、どうもこれは見当違いでした。
魚沼三山あたりかなと思うがまったく自信がありません。

Dscn1142 峰の茶屋跡の避難小屋を見下ろす。
数年前の冬やってきた時、猛烈なブリザードの中、小屋まで登ってきたがそれ以上は一歩も進めず、非常口から小屋に逃げ込み、ここで撤退したことがありました。
那須の名物の一つが強い風です。
とりわけこの小屋の立つ鞍部を吹き抜ける風の強さは半端ではありません。
今日も一帯では殆ど風が無いのに、鞍部周辺は風が強く、とうとう私は帽子を飛ばされてしまい、それはアッというまに険しい崖下に消えてしまいました。

Dscn1145_2 朝日岳へは赤茶けた溶岩の荒涼たる道です。
Dscn1147 旭岳山頂
Dscn1148 遠くのトンガリ山は、片付いていない宿題の山「赤崩山}  

Dscn1151 戻り道からの茶臼岳

Dscn1155溶岩帯を抜けると気分の良い潅木帯になり、かなりの個体数があるムラサキヤシオツツジが花盛り。 アップにしてみました。

人、ひと、ヒト・・・人だらけの山には滅多に行きませんが、たまにはこういうことがあっても良いかな・・・。
たくさんの人が幸せそうな顔をしているのを見ることができ、その気分が伝わってくるのは悪くありません。

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花には逢えなかった平標山

2013年6月1日

谷川連峰の一番西端にある平標山1984mは「花の平標山」と称されている。

早々に梅雨の中休みの快晴が期待される今日(5月31日)花に逢いに日帰りで訪れた。
山荘からR17の走行49kmで、登山口近くの三国小学校(休校中)前に駐車し、仕度にかかる。
~この先200mほど行くと登山者用の駐車場があるが、今は有料になったので、根がセコイ私は只の路側駐車を選択~

Static 今日のトレース~反時計回りで周回した。

サンダルを登山靴に履き替えようとしたら・・・何と、前代未聞の椿事を引き起こしていた。
アリャリャ・・・なんと靴が片×××(ここは2種類ある禁止用語)だ。

似たような靴だったので、よく確かめもせずヒョイと持ち出したためにこんなお粗末な仕儀にあいなってしまった。
セッカチでソソッカシイからこの手のチョンボは日常茶飯事で、死ぬまで直らない性癖である。
~せめて死ぬ時くらいソソッカシク死に損なうことのないように・・・・。

幸いに片方ずつにはなっていたので歩行には支障はないが、これが両方右足(あるいは左足)だったら一歩でも歩き出せない。

Dscn1098 初めての経験~こんなこと何度もやるか?
自分の粗忽さを棚に上げるようだが、ご覧のように色が似ていることがそもそもの間違いのもとで・・・ハイ・・・。

歩き始めは緩い林道をほぼ1時間。

Dscn1100 路傍に咲く野の花・ラショウモンカズラ

Dscn1101 林道終点の登山道分岐になる

Dscn1102  なんとも仲睦まじい双体神~あやかりたいものです。

ここからは急な山道を1時間20分ほどの「平標山乃家」へ。

Dscn1105 ムラサキヤシオツツジ

Dscn1109 苗場山が巨躯を現してきた。

到着した平標小屋は8年前に建て替えているが、外観はそれ以前に泊まったときと変わらないように見えた。
以前と同じように引かれた湧水が惜しげもなく流れている。
女主の言では”塩素を入れてないから保健所から「飲用可」というお墨付きは出ないが、私は40年飲んでるが何でもない”と意に介さない。

小屋から平標山まで1時間ほどの長い木段の登り。

Dscn1108 木段の端にはイワナシが多い。
しかし、期待の花は、早すぎてまだ開花時期を迎えていない。
花の山の本領を発揮するのはもう少し先になるのだろう。

Dscn1114 振り返ると平標小屋が小さくなり、その向こうに大源太山。
小屋からの標高差350mの木段の登りには消耗する。

Dscn1112 谷川連峰最高峰・仙ノ倉山。右にエビス大黒ノ頭。
そして山頂へ。

Dscn1119 後ろの苗場山には残雪がタップリついている。

Dscn1124 谷川連峰・茂倉岳の左奥に「平ヶ岳」?

山頂からは松手山経由の標高差千mの鉄砲下り。

Dscn1126 咲き始めたシャクナゲ

Dscn1128 シラネアオイが一株だけ。
花の山にしては端境期のためさびしかった。
2週間後に仲間とやってくる予定になっているが、その時には繚乱と咲き誇っていて欲しい。

Dscn1127 今日、一番つきあってくれた苗場山にもそろそろお別れ。

ショッパナにとんでもないハプニングがあったが、久し振りに標高差千mの登・降をした。
近ごろ、ヤワな山歩きばかりしている私には相当ハードであった。
特に下りが応えた。
~先だっての三浦さんも下りのほうがズッと過酷だったようだが、山歩きしない人には分かり難いでしょうが、登山では激しい下りの場合は足、膝への負担が大きくて、辛いものなのです。


今日くらいの行程は余裕でクリアしたいものだが、それはもう望んでもムリな相談になるだろう。
                                           

Dscn1129 最後に私のお気に入りの山「稲包山」を紹介しておきたい。
中央の尖った山がそれである。
今日の行程で目を奪われる多くの名峰に比べると、何とも小さな存在だが、知る人ぞ知る、それでいいのだ、稲包山は・・・・。

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