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2013年3月

西上州・高反山~道があるような無いような

2013年3月31日

群馬県の南西の隅は「上野村」で、その村役場の背中に「高反(たかそり)山」1130・6mがあります。
西上州の山としては際立った個性がないため、いつまでたってもマイナーな存在から抜け出せないようです。
裏山ですから作業道はあるのですが、登山のための道は未整備のままです。
従って道が無いかといえばあるし、あるかといえば無いという妙な山です。
3月26日、久し振りになる西上州は先ずこの山から始まりました。

Dscn0806 上野村・恐竜センター付近から見る「高反山」
上野村役場裏の駐車場に駐車してスタート。
登山口の表示はないのだが、たまたま居合わせた主婦に確認。

今日歩いたルートには標識類は殆んどありません。
ただ不思議なことに、山頂から下ってくる場合には山麓の「桧峠」を示す表示が何箇所かにあるのも妙な気がしました。
ところが、ここがその「桧峠」だと特定するものがないのでいよいよ妙です。
すなわち、私が歩こうとするルートは、登り用としては考えられていないのですね。

桧峠と思われる地点からは、溝状の道らしいものになるのですが、おそらくかなり以前の作業道で、今は使われていないのでしょう。
その溝の底には落ち葉が厚く堆積しているので、けっこう歩き難いのです。

Static
この図のほぼ中ほどの874mの独立標高点の上で左へ進んだのですが、おかしいので修正を図り、右斜め下に少し戻り、尾根に出て再び上に向かっています。
この、迷って修正した軌道の軌跡をログはかなり正確に描いていますね。

山頂から西へ延びる尾根に乗り上げる手前のトラバースに長い崩落があり、ここは滑落の危険がありました。
落ちてもせいぜい30mくらいを滑る程度ですから、命にかかわることはないでしょうが、ケガは免れません。

その辺りで西に特異な山容の「笠丸山」が樹間に透けて見えます。

Dscn0809 笠丸山は西上州に多いアカヤシオが特に群生している山で、開花期は全山がピンクに染まるようです。

尾根に乗り上げ右(東)へ曲がる辺りからは殆んど踏み跡も無い状態です。
この屈曲点は迷ういやすいことをネットで見ているのでピンクの目印をつけました。
どこに着けようかな、とウロウロしたその軌跡が、ログでは四角に描かれています。

Dscn0820

Dscn0810 疎林の尾根は幅広く、適当に登ります。
写真では分からないのですが、急勾配です。

Dscn0811 山頂の三等三角点
スマホのGPS機能で高度を計測すると、誤差は十数mほどでした。
さすがに衛星電波によるものだけあってこれなら十分実用になる精度でしょう。
変わりやすい気圧を高度測定に用いるリストウオッチに内臓されている高度計のアバウトさから解放されますね、これなら・・・。

山頂は疎林が展望を妨げていますが、南に少し下がると露岩の展望台があり、私の大好きな両神山から赤岩い尾根~大ナゲシ~六助ノ頭~天丸山~帳付山へと連なる稜線が一望できました。

Dscn0812

Dscn0818 こちらは二子山
その手前にある白い平地は石灰岩の採掘で姿が一変してしまった「元・叶山」の無残な姿です。
ちなみに古いものですが、同じ位置から撮ったありし日の「叶山」です。

Tanzaku441 これだけ尖っていた山が見事なまでに消えうせていますね。

今日も誰にも出会わない山歩きになると決めていたのに、山頂には思いがけず先着のご夫妻がいました。
本庄からこられたそうで、西上州のファンだそうです。
話が弾み、暖かいコーヒーをご馳走になりました。

さて帰り道の気がかりは崩壊斜面のトラバース。
ストックを携行していないので、適当な枯れ枝を拾い、杖代わりにして一歩ずつ慎重に歩を進め無事クリアしました。

GPS専用機に比べれば、スマホの機能は劣りますが、地図上に道が無い山では常に自分の位置がほぼ把握できるので、地図とコンパスを使う方法より簡単で、かつ精度も高いので、頼りになるツールであることを実感しました。

これからの山歩きには高度計やコンパスは不要になるのかな・・・。

ただし、紙の地図はやはり必携で、目的の山にもよりますが、これからは併用することになるでしょう。

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われトラフィックログに成功せり!

2013年3月28日

その瞬間、嬉しさのあまり思わず数回ガッツポーズをしてしまいました。
トラフィック・ログの画像が、このブログの下書きにアップできた、その瞬間です。
数日前から、もう一歩で届く、という感覚はありました。
その一歩が最後の難関でしたが、説明を離れて自分のカンで閃いたことをやってみたら、そこに頂上があったのです。
その方法とは、画像を「マイピクチャー」に取り込むという、日常的にやっている、ごくごく平凡なことでした。
~なーんだ、こんなことだったのか。それならそうと早くから説明してくれればこんなに苦労しなくても済んだのに・・・

アドベンチャー航海に出航するような覚悟で、ケイタイからスマホに変えた最大の動機は、GPSにより、自分が歩いた山道を地図上に正確に記録することにありました。

その後、2ヶ月ばかり、高い低いはあるものの、次々立ちはだかる障害に、あるときは挫折し、あるときは行ったり来たりを繰り返しました。

ゴールに飛び込んでみれば何のことはない、それまでの試行錯誤がウソみたいなそれこそ「コロンブスの卵」の一つでした。
ネット上で見れば誰でもがサクサクしていることでしかないことでした。

この間の汗と涙の結晶が何の変哲もないこの一枚の地図画面です。

Static 3月26日群馬・上野村の「高反山」を歩いた時の軌跡です。
同じルートで往復したので、山頂で記録停止したため山頂がゴールになっています。

さて、なぜこんな厄介なことになってしまったのか、改めて振かえってみます。

一番の要因は「用語」です。
パソコンの世界では常態化していますが、およそ多くの普通の日本人には馴染みのない言葉が次々に出てきます。
適当な訳語がないので英語をそのまま使うということなのか、あるいはそれをさりげなく使うことで優越感に浸りたい気持ちの発露なのか・・・
二つ目の要因として、使い方の説明が、始めから微細に亘るため、大きな流れが掴みにくい点を指摘できます。
先ず、スタートからゴールまでをシンプルに太い線で描き、ユーザーをして何より完走させることを最優先し、応用問題は進化の程度に応じて枝葉をつけていく、そんなマニュアルがあれば良いな、何度もそう思いました。

さて第一段階はスマホに「Fieldaccess」アプリを取り込むことで始まります。
その後は目的地の地図(国土地理院の2・5万分の1地形図)の取り込みですが、ここで「キャッシュ」というパソコン用語に戸惑いました。(皆さんには常識らしいのですが・・・)

実習になり山に入りGPSの記録を開始します。
驚いたことに歩いた軌跡がチャンとプロットされるのです。(当たり前のことなんですがね・・・)
ゴール地点で記録を停止し、保存すれば第一段階をクリアしたことになります。


二番目にある難関がこのデータをPCに取り込む作業です。
これがなぜか「itunesのファイル共有」というのを利用して行うようなのです。
itunes?これって音楽のソフトでしょう?どうして・・・・?
itunesを開いてみても音楽のリストが表示されるだけで「ファイルの共有」というのが見当たらず、どうにもこうにも先へ進めません。

万事窮して「Fieldaccess」の作者に教示をお願いしたところ「itunes」のバージョンが代わってしまったようで、と、手順を教えていただきました。
首尾よく今度は取り込めました。やったー!
と思ったのも束の間、今度はそのファイルが開けないのです。
いろいろなソフトにとりこんだのですが「拡張子が違うので開けない」とか、開けたのはいいが乱数表のよな画面になって頭が混乱するばかり。

作成しようとしている地図は画像ではなく、データなんですね。
ですから仮に開けたとしても、それは画像ではなくデータが羅列されているだけなのです。
~後で理解したことですが・・・

このデータを画像に変換できなければどうにもなりません。
恥を忍んで再度開き方を教えていただきました。

それが最後の関門「ルートラボ」でした。
ここでは比較的簡単に地図画像の加工から保存まで進みました。

あとはこの画像を目的のブログ作成ページへ移せれば栄光のゴールです。
なのにここに高い氷壁が立ちはだかっていました。
この説明では地図画像を目的のページに表示するために」「HTMLコードをコピー&ペーストするように」と指示しています。
その通りにすると何度やっても乱数表のようなページが表示されるだけです。
~後で頭を冷やして思えば、当たり前です。乱数表のような「HTML]をコピーしてどこかに貼り付けても、そこには乱数表しか現れないはずです。

少し頭を休めていたとき閃きました。
”そうだ、いつもやっているように地図画像を右クリックしてマイピクチャーに送ってみたらどうなるか?”
その通りにした結果が冒頭のシーンになったわけです。

これがこの2ヶ月の間の私の航海(いや後悔・・・)のトラフィックログです。

このプロセスの肝は、私の非理数系の頭で整理すると、データーを画像に変換するところにあり、それが経路を難しくしている理由なんだろうと思います。

それにしてもネットで拝見するさまざまな記事で、皆さんがこんな難しいプロセスを何事も無いようにこなし、サクサク記事を作成しているなんて・・・。
もしかしたらそんな皆さんは宇宙人・・・?

嬉しさが余って中身の薄い割りに、大仰なタイトルになってしまいました。    

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「けんか」の思い出

2013年3月24日


カーラジオを聞いていたら”近ごろガキ同士がケンカする話はあまり聞かないね”と某大竹氏が言っていた。
~よけいなお世話だが、ラジオのトーク番組には、本人たち以外には面白くもなんともない身辺ネタや、仲間内だけにしか通じない話題などが多くて、自分たちは面白のかもしれないが、リスナーとしては”かんけいね~ヨ”と言いたくなることが昨今特に耳につく。
なにかにつけ「電波は公共物」とメディア自身が自分の立場を擁護する言い方をするのだから、こんな風な私的な使い方って許されるのだろうか?

それはともあれ、子供がケンカをしなくなったという指摘は的を射ていると思う。
よってたかって一人をいじめる、体罰を加える、などこれらは圧倒的な強者が抵抗する術を持たない弱者を一方的に陰湿な暴行であってケンカとは異質のものである。
「ケンカ」とはおおむね力が拮抗する両者が、およそ対等の立場で、どちらが強いかの決着をつけようとする行為でけっこうカラッと明るいものである。

Tanzaku438_2
これは1対1の決闘から、軍と軍とのたたかいでも同じで、それは勝つための計略は巡らすが、正々堂々と渡り合う、という基本は外していいないことに美学があった。
昔の学校では、多分どこにでもあったことだろうが、同学年で群雄割拠の状態から、ボス同士のケンカ・対決を繰り返し、次第に一人に収斂し、最後にサル山のボス然として君臨する。
私の小学校時代、頂点にたったOの誕生もそうだった。
そのボスは三白眼の見るからに怖そうで、誰もがそいつとはできるだけ目が合わないよう避けていた。
私はけっこう付き合いがあったが・・・)

10年ほどまえの同窓会で、隣に見るからに好々爺然とした、しかし誰かが分からない男と隣合わせになった。
言葉を交わして正体が明らかになったが、その彼こそかつて250人ほどいた同級生の上に君臨していた、腕力系のトップだったO君だった。

私は生来、ワンパク小僧の武闘派ではないのでただ一度の例外を除いて、生まれてこのかた腕力を振るう一対一のケンカをしたことがない。~地域ごとに番長を頂点にした集団があり、その集団同士で日が暮れてから秘かに激突?する諍いはときどき起こり、私も戦士?の一人として参加した。

Tanzaku439_2
ただ一度の例外というのがたしか国民学校4年生位の時のできごとである。
一学年下にTという腕白がいた。
家業が自転車屋で、男兄弟の末弟だったように思う。
この兄弟がそれぞれ荒っぽい気性で界隈を睥睨(へいげい)し、彼もその血筋を引いていて、小さいころからいっぱしのボス気取りで肩で風を切っていた。

何が理由でそうなったのかは忘れたが、あるころから私が優位に立っていて、調子に乗って何かにつけてかさにかかって彼を押さえつけていた(~ようだった~)。
あるとき例によって、私が彼にネチネチと挑発的な言いがかりをつけていたのだろう、とうとう彼の忍耐が切れて”そんならやるか”と挑発に乗ってきた。
私としては想定外の成り行きになったが、自分が仕掛けた以上、逃げるわけにはいかない。

どういう意味なのか分からないまま使っていたが、そのころ1対1でケンカすることを「ゴロをまく」と言っていたが「イチゴロをまく」仕儀となったのだ。
始めはシャドーボクシングのようなものだった。
子供同士のケンカは、相手の体に当ててないけない、という暗黙のルールがあった。
それが、当てるつもりは無かったのだが、はずみで私の右拳が彼の顔を打ってしまった。
これは反則行為である。
それがキッカケになり、それまでの多少はあった遊び心がプッチリ切れてホンキのケンカになってしまった。
上になり下になりの取っ組み合いになり、二人とも土まみれ。
どちらが勝ったかの決着がつかないまま、やがて仲裁が入り終わった。

いわば引き分けだったのだが、客観的に見れば反則を犯した私が劣勢だったと思う。
その時から彼と私の力関係は微妙に変わった。
彼はそれまでに忍従を捨て、私と対等以上の振る舞いをするようになり、勝てなかった私は彼に一歩を譲るような気持ちにとらわれるようになった。

彼が今でもそれを覚えているかどうか、その後、進む道も大きく離れ、絶えて久しく話をする機会がない。
~と、いうより今は彼の生死すらも知らないのである。

70年近い昔のことなのに、この出来事は、私の脳裏にある種の悔恨、あるいはホロ苦さを伴って刻まれている。
人は誰でも、滅多に経験しないことは良く覚えているが、日常の延長線上のことはただ消費されるだけで記憶の襞(ひだ)には刻まれることはない。

~それが何よりの証拠には、私はたった一度しか経験していないこのケンカと「ケッコン式」のことは鮮やかに記憶しているが、成績優良生に与えられる「優等賞」は貰って当たり前のことだったから何も覚えていない・・・ウッヒッヒッ

そんな私だが、ワンパクボスを羨ましく思うことがある。
それは彼らには幾多のケンカで赫々(かくかく)たる戦果を挙げた思い出があり、それが彼の生涯を通じて消えることのない武勲となっているだろうからである。

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雪山デビューに格好な「八ヶ岳・北横岳」へ

2013年3月19日

蓼科山と向かいあう「北横岳」2473mは「労少なくして、益多い」山です。
もちろん高山帯の山のことですから、天候条件に恵まれた場合のことですが・・・。

その北横岳に山の会のメンバー18人で登ってきました。(16日)
市井の片隅にいる小さな会が、冬山入門とはいえこれだけの参加者を数えるようになるまで成長
したことにいささかの感慨を覚えました。

普通、山歩きという場合のおおくは、チャンとした道があり、適宜に道標が立っていて、岩だらけの場合にはペンキで目印が描かれていて、などなどで大抵の人が迷わずにすむようルート整備がなされているところを歩きます。

しかし、山を遊びの対象とした楽しみ方にはいろいろな方法があって、渓谷を遡る沢登り、ロッククライミング、アイスクライミング、高所登山、わざわざ道の無い山に入り「藪漕ぎ」を楽しむなど、力量に応じて楽しみの間口を広げることができるのです。
寒い冬にわざわざ雪山に出掛けるのもその道の一つです。
私たちの会は、多くの山好きの会と同様に「安全第一」に徹していますが、ホンの少しだけ勇気を奮って、未知の世界へ第一歩を踏み出してみよう、というのが今回のテーマです。

今回、私はその入口にまでは案内したのですが、その門を潜りもっと奥へ進むことは、もうそれだけの力が残っていない私の役割ではないだろうと思っています。

以下の写真は同行のIさん、Kさんが撮影されたものを拝借したものです。

13_large 北八ヶ岳ロープウエイを降りてアイゼンを履きいざスタート。
イエー!日本晴れだぜー!

14_large    平坦な坪庭を横切る   48_large

16_large 慣れないアイゼン。緩んでしまうことも起こる。素手で調節していても手が冷たくならない温かさで助かる。

18_large 針葉樹林帯の登り。
樹林帯を抜けると横殴りの風が半端ではない。

32_large しかし大展望が開けてくるのでそれも苦にならない。八ヶ岳の主峰群。
阿弥陀岳を挟んで赤岳(左)と権現岳(右)

阿弥陀岳のアップ    117_large

33_large その右には日本第二の高峰「北岳」を挟んで「甲斐駒」(右)と「鳳凰三山」

83_large 山頂は目の前。

Img_0037 山頂直下から八ヶ岳の主稜線を振り返る。

Img_0034 モッコリの蓼科山~声をかければ届きそう。     

104_large 北の浅間連峰

114_large 北横岳山頂~風がメッチャ強いのです。

41_large 北横岳ヒュッテ前で遅めの昼食。
山を下り、温泉に入って、最後の儀式ががコレ!このために山に行くようなものです。

49_large

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初めての淡路島へ

2013年3月14

長いこと日本人をやっているので、それなりに日本主権の及ぶ範囲内アチコチを訪れてきているが、これまで淡路島へは一度も渡っていない。
いや、渡っていないという言い方はもはや物理的には正しくないかもしれない。
二つの橋で本土と四国を結んでいるので、機能的には陸続きと変わらない。
島と言うには大きすぎるのも島へ渡った、という実感を伴わない理由の一つ。
どれ位の大きさかというと、琵琶湖の総面積670平方Kmよりやや小さく、596平方Kmである。

島の旅とくれば、旅情を誘うものがあるのが普通だが、それを感じるためには島のサイズが大いに関係するだろう。

島の話に先立ち、空からの富士山やアルプスの俯瞰写真をご覧いただきたい。
数えたことはないが、これまで富士の上空は随分飛んでいるが、これだけの雪山俯瞰は多分初めてである。
今回は好天の上に、翼に邪魔をされない後ろの方で、かつ富士を見下ろす右の窓側の席という好条件が揃って、これだけの収穫となった。

Img_0022

スマホで写したもの。かなりなクオリティを発揮している。      

Dscn0765 手前が南アの荒川三山(右)と赤石岳。奥に北アルプス

Dscn0766 南アと、中間に中央アが少し見え、奥に北アルプス。
伊丹空港から神戸へ。

Dscn0801 神戸から4千mほどの明石海峡大橋を渡ると淡路島。

島を南北に貫く高速道路で阿波鳴門へ。
いうまでもなく「渦潮」が売りなのだが生憎発生する時間ではなかった。
それでも海面の様子は潮流の激しさを垣間見せていた。

Dscn0778 大鳴門橋~対岸が淡路島

島の北へ戻り今夜の宿へ「ウエスティン・ホテル」へ

Dscn0785 設計は安藤忠雄氏だそうである。
リゾートホテルではないので温泉はともかく、大浴場が無いので落胆・・・
夕食はバイキングだが、いずれも手をかけた上質の献立になっていたのはさすが、か。

Dscn0780 大阪湾から陽が昇る。

Dscn0784 ホテルに隣接する「はる一番の丘」
桜は何故か「修禅寺寒さくら」だそうである。

Dscn0793あわじ花さじき」とはいうものの咲いていたのは菜の花だけ・・・

Dscn0803 旅程の最後は「有馬温泉・太閤の湯」
写真ではうら寂しいが、実は千客万来で、入館するための順番待ちの行列ができるほど。
セット料金2400円ということで、タオルと館内着がレンタルになっている。
この値段はいかにも高いし、何より必要も無い館内着を押し付けるやり方はあざといですよ。

昨夜、大きな風呂に入れなかった無念は晴らせたが、この料金に対する後味の悪さを感じたのは私ばかりではなかった。

こんな風に家内を慰労するための短い旅を終えました。

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春だ!ミュージックだ!

2913年3月11日

あの日から2年目の朝。
あの日の朝も、今朝と同じようないつもの朝だったのに・・・それから8時間後に・・・。

三寒四温という味のある言葉が死語になってしまったかのような、つい先日までの低温続きがウソのようなこの数日の陽気で、萎縮していた心身が伸びるような気分。
杉花粉、黄砂に今年は新顔の「PM2・5」が加わり、影響を受ける人も少なくないと思うと、無邪気に嬉しがったりばかりしていられないのかもしれないが、やはり頭の中を「春の声」(ヨハン・シュトラウス)が駆け巡るのは止めようがない。
そう、春は音楽と共にやってくる。
「スプリング・ソナタ」(ベートーベン)、シューマンの交響曲「春」、ビバルディの「四季」、コープランドの「アパラチア山脈の春」などやクラシックには小品を含めて、春を迎える喜びを謳った作品は多い。
もちろんわが国にも人口に膾炙(かいしゃ)された春をことほぐ歌がたくさんある。
五輪真弓の「春便り」は好きだし、松田聖子の「赤いスイートピー」も♪春色の汽車に乗って・・・で始まるから、春の歌だろう。
そうそう、忘れてはならないカラオケの定番「北国の春」で止めをさす。

という次第でTV鑑賞でのこのところの音楽のことを少々・・・。

先ずはエリナ・ガランチャの「カルメン」
特別なオペラファンならずとも歌劇カルメンのことはよく知られている。
ここまで通俗的になったのも、その筋書きといい、音楽といい、とても分かりやすいことが理由であろう。
今人気絶頂のメゾソプラノのガランチャがそのカルメンを演じたので大いに話題になっている。
人気の所以~類稀な容姿と美声に歌唱力とくれば、人気が出ないほうがおかしいだろう。
彼女が卓越しているのは「バラの騎士」での貴婦人も演じられるかと思えば、カルメンのような仇っぽい役もはまる、幅の広さだろう。
そのメトロポリタンでの上演だが「ミカエラ」役がバルバラ・フリットリというこれまた人気ソプラノという実に豪華なキャスティングである。

Dscn0652 ドン・ホセを誘惑するカルメン   

Dscn0654 ドンホセを慰めるミカエラ   

Dscn0662 カルメンは不実をなじるドン・ホセに刺される。

次いで、同じメトでの新演出によるモーツアルトの「魔笛」 
今、オペラは演出の時代だそうである。
演出家による斬新な舞台が次々に生まれているようだが、私には違和感が拭えない。

Dscn0731 夜の女王~紅白歌合戦の趣ですな~

Dscn0730 ド派手ですな~

Dscn0732 とにかくこの無国籍ぶりが凄い!

こうして並べてみると、舞台装置といい、衣装といい斬新というより、サイケデリックで、奇を衒(てら)う趣が感じられてならない。
いうなれば歌舞伎を、背広やジーンズで演じているような落ち着きのなさがつきまとう。

Dscn0733

Dscn0735
この新感覚が感じとれない私は、しょせん感度の鈍ったジイサンでしかないのだろう。

残るは辻井伸行青年のロシアでの白夜音楽祭の演奏。
チャイコフスキーの「ピアノ協奏曲・第一番」をゲルギエフのタクトで熱演した。

Dscn0736

Dscn0760

Dscn0748

Dscn0750

デビューしたときは「盲目の」ということで注目を浴びたが、今はそのハンディを忘れさせる、普通の演奏家として着実に成長しているのであろう。
チャイコフスキーのP協奏曲といえば、マルタ・アルゲリチがキリル・コンドラシンが指揮するバイエルン放送管弦楽団と白熱の競演をした伝説の名演が忘れられない。
辻井青年がその域にまで到達できるのか、これからを見続けていきたいものである。

                                                        

                                                      

                                                        

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小兵といえども侮れない「四阿屋山」

2013年3月8日

秩父の「四阿屋(あずまや)山」771・6mはフクジュソウとセツブンソウで知られているので、女性的な山との印象がある。
ところが実態は小兵ながらも、岩の鎧をまとった無骨な男くさい山であった。
それもそのはず、この山は、峨々たる岩山・両神山が東へ延ばす長い山稜の東の端にあり、あたかも君主を守る、最初の砦という位置にある。

6日(木)昭和ICから藤岡ICへ。
秩父へと向かう下道を走り100km足らず、2時間強で登山口の「大堤」BS前の駐車スペースに着いた。

四阿屋山へは頭がパニックを起こしそうなくらいたくさんのルートが通じているが、今日の予定は「つつじ新道」という。
このルートにはかなり手強い岩場が立ち塞がっている、ということなので、これを登り、一般ルートを下る予定にしている。

Dscn0704 ガードレールの切れ目にある登山口。
杉の植林の急な坂道を登り、尾根に出ると・・・

Dscn0705 直進の岩場は危険だと・・・despair sad
ここで逃げたら男がすたる・・・(とっくにすたっているのに・・・)

Dscn0707 2つ目の鎖場で立ちはだかる岩。
高さは5~6mくらいで、ほぼ垂直。
準備として手袋を脱ぎ素手になる。
ご覧の通り鎖の左側は左足を置くスタンスが全くない。
ホンの1cmほどの出っ張りに爪先だけを載せ、微妙なバランスを保持しながらの攀じ登りをくりかえすこと4~5回。
途中、ダメかな?と弱気になりそうな自分を叱咤。
”ジイさん、根性入れていけ!”
難所で有名な「劔岳」の「カニノタテバイ」に比べて、こちらの方が技術的には難しい。
高度感がないのでその分助かるが、この倍の高さがあったら腕力だけでは登れないだろうから、極めて危険になるに違いない。

この先にも長い鎖場が断続するがもう難しいものは無い。
階段状の最後の鎖を通過すると山頂。

Dscn0710 三等三角点。

Dscn0708 狭い山頂は「両神山」にだけ開けている。

Dscn0712 こちらは「二子山」
こんなに可愛らしい岩峰だが、近寄ると一筋縄ではいかない。
さしずめ言い寄るとただでは済まない「小悪魔ブリジット・バルドー」か。
・・・・と言っても、バルドーって?という時代か、今は。

一般ルートの下山路も長い鎖場が続き、足元が凍っていることもあり油断ができない。
両神神社奥社を過ぎると緩やかになり、やがて日当たりの良い緩傾斜地が開け、そこかしこに福寿草が開き、蝋梅が馥郁(ふくいく)たる香りを漂わせていた。

Dscn0718      

Dscn0717 このあたりではやはり目立つ「武甲山」
車に戻り「セツブンソウ自生地」へ

Dscn0723 小さくてジミな花なので探しにくい。
開花が始ったばかりだそうで・・・。

Dscn0727 もう一度、山麓からの武甲山

Dscn0729 先日は素通りしてしまったので寝覚めが悪く、帰路に水潜寺にお参り。
秩父巡礼、三十四札所の最後の結願寺になる。
いきなり最後の寺にお参りするだけで三十四寺分のご利益(ごりやく)に預かろうなどとは虫が良すぎるか。
いつの日にか順番を追ってお参りしよう、などと殊勝な気持ちになれるかもしれないな。

                                           

                                             

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思い立っての「榛名・掃部ヶ岳」

2013年3月5日

朝(4日の)山日和になりそうな気配があった。
山荘にいる間は特にしなければならないこともないので、こんな日に山へ行かないことはむしろ苦行になる。

どこにする?手近なところで・・・
そうだ、冬の榛名には登っていないな~この思いつきは悪くないぞ。
という次第で、とりあえず榛名に向けて車を走らせる。

Dscn0682 向かう途中からの榛名連山~右端には浅間が見える。
初めは取り付きのよい水沢山に決めていたが、水沢観音の分岐直前で急に変心した。

”路面には雪が全く無いから、この分なら榛名湖まで行けるだろう。それなら掃部(カモン)にしよう”・・・ヘイ!カモン・・・~ナーンチャッテ・・・。

Dscn0684 榛名湖へのとちゅうにある高根展望台から。
小野子三山(左)と子持山(右)の間に白い「上州武尊岳」

Dscn0685 谷川連峰~平標山(左端)から谷川岳(右端)

Dscn0688 鳥甲山、白砂山、佐武流山から右の苗場山も続く。

Dscn0691 全面結氷の榛名湖。正面はいうまでもなく榛名富士。

Dscn0694 上の写真の撮影位置の傍らにある竹久夢二の歌碑。
中学2年の修学旅行の時、ここで記念撮影しているな・・・。
~セピア色の記憶。

いつもの駐車場が雪で閉鎖なので、国民宿舎「吾妻荘」の脇に駐車。
先着していた世田谷からのご夫妻が準備万端整え出立した。
手近にあるものを引っ掛けてきただけの、みすぼらしい私も追随。
車道から分かれる登り口でアイゼンを履く。
この仕度の間に私が先行することになる。
雪面はこの週末の入山者のお陰でシッカリ踏まれすこぶるラクチン。
嫌な木段も雪の下で快適に登れる。

Dscn0698 一面の雪だが、積雪量は多くない。

Dscn0699 見下ろす白い榛名湖。ただし、左半分は見えていない。
Dscn0700 山頂直下

Dscn0701 白い浅間山だけが存在感を見せ、他はかすみ気味。
暖かい大気に包まれ30分ほどボンヤリ過ごして下山。
下り始めると完全装備の世田谷のご夫妻が登ってきた。

早々の下山のわけは、吾妻荘の展望風呂に入りたい一心からだったが、いざ玄関に立つと「休館」の掲示。
実は、月曜だから休館ではないかな、と内心予測していたがその通りになってしまった。
宝クジなどにはチットモ当たらないのに、こうした予感は必ず当たってしまう、この間の悪さ・・・・。

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重箱の隅?の山~破風山

2013年3月3日

埼玉県の西北、神流川に接する辺りには小粒ながらも、ガイドブックなどに時折登場する山が幾つかある。
~野口冬人さんの古い本を読むと「児玉丘陵」と呼んでいますね。
一応、東京近郊の山とされてはいるが、交通不便で、新宿起点だと電車やバスに5~6回くらい乗り換えなければ辿りつけない。
それが理由でこれまでほとんど足を向けていなかったが、山荘を起点にすると時間距離が大幅に短縮される。
その方法で登り残している山を一つづつ消していこう。
「重箱の隅」の山などというと、このエリアのファンには叱られそうだが・・・。
今日(2日)歩いた「破風山(はっぷさん)」626.8mもそんな低山の一つ。

皆野町「満願の湯」の上にある駐車場からスタート。
車道の終わりは山上集落の「風戸」

Dscn0670 生活の気配は感じとれない。
ここも廃村への道を辿っているらしいが、珍しく人がいたので言葉を交わす。
地名は「ふっど」と読むそうである。
日当たりの良い緩やかな傾斜地。
心豊かな暮らしが営まれていたであろう、このような美しい日本の原風景が日本中で消えていく。

Dscn0672 猿岩
雑木の疎林の中に突如、無骨な岩が現れる。
こちら側取り付くと、途中真新しいトラロープも張られ岩の上に出られる。

Dscn0673 破風山頂。三等三角点。
南に端正な武甲山が近いが、強い寒風の吹き出しで、土埃が舞い上がっているせいか不鮮明でカメラを向ける気がしない。
ラーメンをつくったがテルモス(サーモス)の湯温が熱湯より下がっているせいか正直、出来栄えはよろしくない。

山頂を辞して西へ向かう。

Dscn0676 如金サマ、という小さな岩。
そこからは岩交じりで、鎖場や、ヤセ尾根などもあり、ここまでの単調な歩きに少し刺激が加わった。

大前山653Mという今日の最高点を通過して山をくだる。
このあたりは地図にもルートが無いが、道があったらとにかく北へ下れば満願の湯に戻れる車道に出るはずだ。

Dscn0679 開けた廃村に出た。(後で調べたら大前らしい)
遠景、一番奥が長瀞の「宝登山」
ここに建っていた「バス停へ」という標識のため方向を誤まり、遠回りをさせられる結果となった。
北へ向かうはずの道が西へ向かっているので、途中オカシイと感じたが、もう進むしかない。
それでも車道に下りついた。
地名が分かるものが何も無いので当惑はしたが、およその見当はついているので方向を決める。
当てずっぽうに下った道はやがてバスが通う道に突き当たった。
バス停があり「小前入口」と表示されていた。
確かこのバス道は以前「城峰山」に向かった時に利用したバスが走った道であろう。
自分の位置はハッキリしたものの、長い車道の下りで閉口させられ、ようやく目指す「華厳の滝」に着いた。

Dscn0680 本家「華厳の滝」に比べると曾孫くらいのスケール。
「水潜寺」というこのあたりの名刹を素通りして満願の湯へ戻った。

山歩きをしながら目にする廃村を見るたびに思う。
ほんの僅かな人しか住んでいない限界集落のための、行政サービスなどの社会的コストは相当なものだろう。
それは結局、税金で賄っているいることを思えば、町へ下りる集約化が望ましい。
しかし、ここで生まれ、ここで生きてきた人の、ここで生を全うしたい、という気持ちもよく分かる気がする。
この問題、どうすれば解決できるのだろうか。
いや、そもそも正解などありはしないのだろう。

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