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北向地蔵から日和田山~奥武蔵の丘陵を歩く

2013年2月23日

西武秩父線の「武蔵横手」駅から「高麗駅」の間の北側に小さな隆起を結ぶハイキングコースがある。
とにかくいつ果てるか、際限のない寒気に萎えいる心では、雪山歩きも億劫で、アイゼンを使わずに済むような土の上を歩いというのが21日のこのプチハイキングである。

武蔵横手からの谷沿いの日陰道の途中にある小さな「五常の滝」
五常」とは「仁、義、礼、智、信」の謂いとのことである。

Dscn0633 さすがに低山。この寒気の中でも氷結していない。
あちこちにある地名だけが残っているかつての集落跡と同じ土山を抜けて「北向地蔵」へ。

Dscn0634 かつてこの地方に悪疫が流行ったとき、野州(栃木県)の「岩船観音」を分身し、ここに祀って祈願して平癒させた、その礼のため、岩船観音に向けて、北向きに祀ったという所以書きがある。

東へ辿り今日一番頂上らしい「物見山」で昼食。
このあたりの山ではどこでも広大な展望はまず望めない。
下った「駒高」もかつての山上集落だったらしいが今は一軒の人家があるだけ。

Dscn0638 群生する春の先がけ「蝋梅」があたり一帯に芳香を漂わせている。

Dscn0636 西空には奥多摩の「大岳」~「御前山」の連嶺。

電波塔施設のため立ち入れない「高指山」をエスケープしていけば最後のピーク「日和田山」

Dscn0640 珍しい四等三角点が埋設されている。
かなり以前、岩登り講習に参加したとき、ついでに登ったはずだが、全く覚えがない。

Dscn0644 花期ならヒガンバナの赤が埋め尽くす「巾着田」
今は枯草色に覆われている。

高麗駅近くまできて、たまたま今出ている『岳人』誌で好意的に紹介されていた「しょうへいうどん」という店で遅い昼食を摂った。

私の評価ではありふれたレベルで、特筆するほどのものではなかった。
東日本有数のうどん縣・群馬では飛込みで入ったどんな店でもたいてい上質のうどんにありつける。
そんなエリアで喉を鍛えられるいるせいか、なまじっかのうどんでは納得できない。
因果なことでだが・・・・・・。

朝鮮半島からの渡来人が住み着いたことから起きた地名とされている「高麗」駅前に立つ二つの標柱。

Dscn0645 天下大将軍と地下女将軍
朝鮮半島では「チャンスン」という守り神で、村落の入口に建てられるものだそうである。

そういえば今日の行程に立っていた標識はこの形を模していた。

・・・・というようなことでインパクトに乏しい一日でした。

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登山」カテゴリの記事

コメント

高麗駅とは昔一度だけ行ったことのある武者小路実篤の理想郷〔新しき村〕の先なんですね。
さすがに雪が見当たらず春近しの感じが映像から伝わってきます。
詳しいことは忘れましたが、昔高麗から来た人々がこの地に住んだので高麗文化の名残りがあるとか。。。
よく調べてみて、興味が湧きましたらその周辺を散策してみたい気もします。

投稿: おキヨ | 2013年2月24日 (日) 13時12分

蝋梅、きれいですね。実際にこのような群生を見て、芳香に包まれてみたいものです。

…「山のパンセ」の『早池峰山』の中に、宮沢賢治の詩が取り上げられていて実際にその場所を知ると、「その詩が立体的に浮かび上がって来る。」「…イマージュは別で色や匂いが立ち上って来る感じである。」と書かれています。その通りなのでしょうね。
ここで取り上げられている賢治の「早池峰山巓」は、どうやら同じタイトルの詩がいくつかあるらしくて、私の手元の詩集に載っているのはごく短いものです。
先日、図書館で賢治の詩集の中に探してみましたが、「早池峰山巓」は見付かりませんでした。「山のパンセ」を読み終えて満足していますが、ちょっとした宿題が残りました。
山に関わる素晴らしい文章や詩を読んでも、実際に登れない私は想像を膨らませるばかり…写真を拝見できるのは幸せです。

投稿: 淡雪 | 2013年2月24日 (日) 14時46分

おキヨ様
日本が国の形を創り始めたころでは、朝鮮半島からの渡来人による文化や生活習慣などの影響はずいぶんあったでしょうね。
それらは長い時間が経過してもう殆んど同化していますが、地名などには僅かに痕跡を留めているようです。
山の名前でもおおかたは「山」か「岳」がつきますが、ある地域には「大谷ヶ丸」などと、「マル」で終わる山名があります。
この「マル」は朝鮮語で「山」の意味だそうです。

高麗での見所はとにかく巾着田の曼珠沙華(ヒガンバナ)でしょう。
花期は9月の終わりころから10月の初めでしょうが、人出がたいへんなようです。

投稿: 風花爺さん | 2013年2月25日 (月) 06時49分

淡雪様
拙い写真ばかりですが・・・
ある場所の情景を描写した詩があるとして、確かに串田さんが書いている通りでしょうね。
赤毛のアンのような夢見る少女ならともかく、普通の人では言葉だけでその場所の情景を思い浮かべることは難しい作業になりますよね。
『山のパンセ』を読み返してみると、私も「早池峰山」には登っているので、宮沢賢治の詩が描写していることは、ある程度立体的にイメージすることができます。
ただ、詩の後段の幻覚めいた詩境については、私ごときには理解を超えています。
串田さんが言うように「詩からは遠い」せいでしょうか?

ともあれ、一つの言葉や一枚の写真からさまざまなイメージが生まれることは素敵なことだと思います。
想像することは人間にしかできない(多分)ことでしょう。
せいぜいその恩恵にあずかることとしましょう。

投稿: 風花爺さん | 2013年2月25日 (月) 07時08分

誰かまはりをあるいてゐるな……詩のこの部分は「みそさざい」の気配を、人のように感じているのかと思っていました。風の音も、その鳥の鳴き声のように聞こえたのかと…。

でも、2月の早池峰山に みそさざいがいるのでしょうか…。賢治の錯覚あるいは幻覚めいた体験による詩なのでしょうか…。


本を読んで想像を広げるのは子供の頃からの何よりの楽しみで、今も年甲斐もない夢見る老女です。みっともないことですが、それをやめると私ではなくなるので…。

山のパンセを読んで感じたのは、想像だけでは充分ではない…体験しないと本当には解らないことがたくさんあるということなんです。当たり前のことなのですが、少し淋しく思うのも事実です。

>想像することは人間にしかできない(多分)ことでしょう。
風花さまのこのお言葉に慰められています。

読んでいて串田氏を身近に感じたのは、シューベルトのソナタ「アルペジオーネ」が登場する『伴奏』です。私もチェロによるこの曲に救われた時期があったからです。

多くを教えられる本でした。次は「花嫁の越えた峠」を読みたいと思います。

風花さまの記事から離れたことを書いて申し訳ありません。

投稿: | 2013年2月25日 (月) 12時33分

淡雪様
たしかに「百聞は一見にしかず」ではあります。
がしかし、ある文章からイメージする何かは、別にそのものでなくても、自分のイマジネーションで創造することも許されることだと思います。
人間の特権ですから、大いに利用しましょう。
お金も一銭もかからないことです。

アルペジオーネ・ソナタは私も大好きです。
ピアノ演奏でもいいですが、チェロが似合いますね。
私はヨー・ヨー・マの演奏を愛聴しています。

『山のパンセ』を読み込んでいただいていてありがとうございます。
ときおり拾い読みする程度の私の方が啓発されます。

投稿: 風花爺さん | 2013年2月25日 (月) 20時27分

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