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2012年12月

西上州「千ヶ平」~標識ゼロの山

2012年12月26日

例えば妙義・中之岳神社駐車場とか、御場山とかあたりで南の山なみを見ると、荒船・経塚山の峰頭から左(東)へ毛無岩~トヤ山~黒滝山と連なる稜線のその途中、経塚山に並んで、勝るとも劣らない山容の山に目を奪われる。
地形図で見ると標高1340m圏にある、私にとって長いこと気になっているこの山の名前がどうしても分からない。
地形図は愚か、登山地図や荒船山から黒滝山を歩いた記録を見てもこの山の名前が出てこない。
縦走の途中になるこの山は、理由は分からないが南側を巻いて通過してしてしまうため、山頂を踏むことはない。
そのため無視されるか、せいぜい「無名峰」としてしか触れられない。
このあたりでは一国一城の主として君臨できるだけの風
格を持っているのに惜しみても余りある、あんまりな扱いではないか。
その姿をより近いところで見るため、この無名峰から北東に1・8kmほどの
距離にある「千ヶ平」1158mに登ってみることとした。

千ヶ平とて超マイナーな山。
歩いてみた結果、予想通りではあったが、登り口から山頂まで、標識その他、人為的なものは全く無かった。

当然、一般的な登山の対象ではなく、一部の篤志家によって山岳雑誌などで紹介される程度。
登山には必携の「山と高原」地図にも破線すら記入されていない。
とりつくシマもないようだが、今日はインターネットという強力なツールがあるのでヒントになる情報は得られる。
ルートファインディングのためにはそれらの情報がとても役に立つ。

荒船湖の先でR254の旧道に入り、天神平グランドゴルフ場の脇を通り抜け林道十字路に駐車。
ここから暫くは林道を歩くが、やがて破砕石の荒れた旧林道となる。
この林道が右へUターンするのを見送り、正面の荒れた涸れ沢に入る。
破片岩が乱雑に堆積していて、足元が常に不安定。
転倒、捻挫の危険が潜んでいるので歩き難いことおびただしい。
空模様が怪しくなり、とうとう雪が舞って来るしまつ。
トタン屋根の残骸や、炭焼き窯の跡などを見ながら扇状に開いた沢の源頭部を適当に登る。
傾斜がきつくなり、雪は無いが凍結しているため、帰路はここでアイゼンをつけなくてはならないかな・・・

くに見えていたのに随分時間がかかり尾根に乗り上げた。
稜線上にネットで登場する脚立があったので、予定通りのルートを辿れたことを確認。
3mほどの岩場を越えると頭。
しかしここは山頂ではなかった。
そこから際どい下降、痩せた尾根をトレースして山頂。
幸い雪は一時で、天候は回復。

Pc240988_2 三等三角点の山頂。バックは荒船山。
山頂は梢が展望を妨げている。
西にある、中空に突きあげる小さな岩頭に際どく登ると遮るもののない展望が得られる。
ただし、人一人がヤット立てるという狭い岩頭の周囲は崖になっているので、高度感はありあまるほど。
高所恐怖症にとっては撮影もおちおちしていられない。

Photo 念願の無名峰を間近に見る。
至近距離で見て、いよいよ無名であることが不当であるという思いを強くした。
誰か心あるネーミング名人にこの山にふさわしい名前をつけて欲しいものだ。

Pc240991 凹凸の激しい稜線が食欲をそそる。
P4250791 無名峰のあたりを反対の南側・立岩からみるとこうなる。(4月の撮影)
無名峰の左にもう一つのいただきがあるが、これが千ヶ平から見ると、無名峰の右奥に隠れてしまう。

Pc240994 荒船山も目の前~それにしても真ッ平だな・・・

帰路はアイゼンをつけるのも面倒なので用心しいしい下る。
それでも何度かしりもちをついた。

すっかり冷え切って、さてと気がつけば今宵は私にトンと無縁になってしまったクリスマス・イブか。
心温まるものが待っていてくれるかな、と淡い期待を胸に、家人と孫が留守居をしている山荘に戻った。
その結末は・・・? 触れずにおきましょう。

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花嫁の越えた峠~丹沢・はなじょろ道

2012年12月15日

串田孫一さんが生涯に遺した膨大な作品の中で、私が好きなものの一つが「花嫁の越えた峠」です。
串田さんの山紀行は、その場所がどこであるかが分かる固有名詞を入れないのが特徴です。
花嫁の越えた峠も、その峠が何峠であるかは分かりません。
ところがこの峠が甲府市の北のほうにある「黒平峠」であることを『ひとり旅』で明らかにしています。
それを知ったのは割りに最近のことですが”あァ、そうだったのか”と長年の謎の一つが解けたのを喜びながらも、落胆もしました。
それは”あの峠だろうか、この峠なのか”と想像をめぐらす楽しみが失われてしまったためですね。
歩くことしか移動手段の無かった時代では、縁があって嫁ぐとき、険しい峠を越えていかなければならない場合もかなりあったのではないでしょうか。
したがって「花嫁
越えた峠」は全国至るところにあったはずです。

私が13日に歩いた「はなじょろ道」もそんな峠越えの道の一つのようです。
この峠のことを知ったのは、3
年前、丹沢・高松山からジダンゴ山をつないで歩いた折り、稜線の途中を横切っていた「ヒネゴ沢乗越」に「はなじょろ道」の表示を見たときです。
正確な意味は分からなかったのですが、何か由緒ありげな名に惹かれ、いつかこの峠越えの道を歩いてみなければ、と思いました。

いつものことながら”その内に、その内に”などと一日延ばしにしていると、気がつけば長い無為の日々が流れていました。

真冬並みの寒気に包まれている日々ながら、中央丹沢の懐の「田代向」でバスを降りた時は無風で、中津川を渡る空気も心なしか優しく思えました。
Dscn0495 田代・中津川上流の「鍋割山」辺りの稜線

随所に立つ標識に導かれて「虫沢」の集落に入ると、そこにその由緒を印した標識が立っています。
Dscn0498

かつて、この峠(ヒネゴ沢乗越)は、それを挟んだ東の「田代」と西の「共和・八丁」を結ぶ生活道が通っていたそうです。
日本全国どこにでもある時代の推移の中で、いつしかこの古にし道も廃道化してしまいます。
それを3年前に峠の東西の篤志家たちがこの古道を甦らせるプロジェクトをスタートさせたようです。
彼らの情熱と古道への愛着がいまある、花嫁も越えた道として甦りました。

Dscn0501 虫沢集落の奥で林道と別れ山道になります。
間伐材を利用しての、整備の行き届いた道で、歩くのがとても楽です。

Dscn0502 峠の空が木立の間に近づいてきました。

Dscn0503 峠「ヒネゴ沢乗越」 720m
嫁いでいく花嫁の心中には、揺れる思いが一杯だったのでしょう。
そうした思いを胸の奥に閉じ込め、望郷の念に引かれる後ろ髪を断ち、こんな険しい山道を花嫁は辿ったのでしょうか?
今はその哀歓を偲びようもありません。

西の八丁へ下る道は、東側に比べ整備が遅れているのか、ところどころで道型が消えてしまいます。
ただ、途中大きな富士が望めるビュー・ポイントが2ヶ所あります。

Dscn0505 富士見台から大野山を前景にしての富士
峠を越える花嫁は、登ってきて振り返り見た富士に、改めて去ってきた家郷を偲んだのでしょうか?
あるいは峠を下ってきた初めて目にした富士に、これからの生活に希望を見たのでしょうか?

皆瀬川に下り着くとあるはずの2本の橋は無く、しかし水量が減っている流れは渡渉には困ることも無く、民家の無い八丁に降りました。

後は陽が傾いた谷間の車道を7km、たんたんと歩くだけ。

Dscn0510 散るのを待つだけの名残の紅葉

Dscn0511 都夫良野トンネル付近の東名高速の幾何学模様

Dscn0514 花嫁に出会うこともなくゴールの御殿場線「山北駅」到着。

花嫁の越えた峠をおりた串田さんは、甲府へ出て大好きなカツ丼を食べるのですが、私は缶のお汁粉をすすってお終いでした。

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