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手塚宗求さん逝く

2012年10月31日

山と渓谷』誌11月号に目を通していて手塚宗求(むねやす)さんが9月12日に逝去されたことを知り驚いた。
近著『諸国名山恋慕』の読後感を送ろうかと思っている間にこうなるとは予想もしていなかった。

手塚さん・・・山の世界でも「山の文化」には無関心な向きにはお馴染みのないお名前だろう。
昭和31年、霧ヶ峰・車山の肩に小さな山小屋「コロボックル・ヒュッテ」を開き、時流に棹さし、小さな小屋のまま小屋経営を続け、生涯「霧ヶ峰」を愛し続けた人・・・。
主として霧ヶ峰を舞台にしたエッセイを書きつづけ、それは10冊を超える著作に結実した。
ケレン味のない、静謐で、親しみやすい文体は私には実に好ましいものだった。

Tanzaku396    Img249    Img248   

私が手塚さんに初めて会ったのは昭和38年11月、蓼科山に登るためコロボックルに立ち寄りコーヒーを飲んだときだった。
・・・とは記録に残っているが、この折に手塚さんに会っていたのかどうか、記憶からは消えているのだ。

Tanzaku397     Img250   Img247 串田さんと     

その後、霧ヶ峰にはドライブで随分行ったが、コロボックルを訪ねることはついぞなかった。     

時が流れ、手塚さんの著作で『山と高原』1961年12月号に掲載された、串田孫一さんとの往復書簡「又、あの風の音を」の記事が手元にないことを知り、国会図書館でそのコピーをとり、お送りしたのがキッカケになり、時折手紙のやりとりをするようになった。

ほんとうに久し振りにコロボックルを訪ね、一夜を過ごしたのが2007年10月31日のこと。
Pa310534  Pa310535 食堂の椅子・雅子妃殿下が座ったもの。

秋の夜長を、手塚さんとゆっくり山の話を交わしたかったのだが、この時の同行者の一人が、懸念していた通りに酒に飲まれてしまい、それまで何度も聞かされていて、聞き飽きている自分の話ばかりするため、折角の心積もりが台無しの一夜になってしまい悔いが残った。

その気になれば遠くも無い「霧ヶ峰」
それが手塚さんの不在で、彼方へ遠ざかってしまったような気がしてならない。

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コメント

手塚宗求さんというお名前は存じ上げませんが霧ヶ峰の主のような方だったのですね。
お酒のみのお仲間とご一緒だったのはかえすがえすも残念でしたね。今となっては惜しいひと時を無駄にしたという風花さんの想いよく解ります。

私も霧ヶ峰にはよく出かけたほうだと思います。ご紹介された本のうち、どれか一冊はぜひとも読んでみたい気になりました。

投稿: おキヨ | 2012年10月31日 (水) 11時39分

適度なアルコールは会話も楽しく弾み、良きヒューマン・リレーションを築くには欠かせないツールだろうと、下戸の私も理解しています。
稀に、自分をコントロールできなくて、酒品の悪さを露呈してしまい、雰囲気を壊す飲兵衛がいることが残念ですね。

手塚さんの本では、入手しやすく、内容もお勧めできるのは『新編 邂逅の山』かなと思います。
「平凡社ライブラリー」に収められていて1200円(税別)です。

今どきの霧ヶ峰はたおやかに拡がる草原が狐色にそまり、しみじみと晩秋の雰囲気に浸ることができますね。
こんな風に書いていると、今すぐにでも飛んで行きたい衝動が突き上げてきます。

投稿: 風花爺さん | 2012年10月31日 (水) 20時37分

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