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『単独行遭難』を巡って

2012年9月13日

ハイキンググループの仲間17人と9~10日にかけて長野県の小さな山歩きをしてきた。
それはそれで愉しい・・・のだが、今日は「単独行」についての寸感を・・・。

156_original  北八ッ・ニュウ山頂で。おじさん方の平均年齢は70歳台。
それが理由かどうか定かでないが、このグループは中高年の山の会としては極めて珍しく、女性会員より男性会員の方が多い。

さて本題へ
登山の世界での公式論の一つが「単独行は危険だからやらないように」というもの。
正確なデータは無いのだが、ここに取り上げた『単独行遭難』の資料によると、山での遭難死(山菜取りなども含んで)は例年270~300件ほどだが、このうち50~55%が単独行のものとなる。
パーティ登山と単独登山との登山者数を想定すれば、単独の場合の方が危険率が高いことは否定しがたい。
遭難救助当事者の言でも、パーティ遭難の場合に比べて単独遭難の救助は格段に困難、という見地から、単独行はやめてほしいということである。

それでも単独行はなくらない。
飛行機は落ちたら命取りだからとか、自動車運転は危険だから、とは分かっていても飛行機に乗らない、運転しないということにはならない、ということに似ている。
つまり極めて低いリスクと秤にかけて、受益の方が圧倒的に大きいから、という判断からである。
もう一つには、自分はそうした事故の当事者にはならない、という錯誤もあろう。


単独行の受益とは何だろう?
自分を鍛える、達成感が大きい、山・自然と深く交感できるなど人さまざまだろうが、何にもまして大きいのはほぼ完璧な「自由」が手に入る、ということだろう。

Hnter384
この書では七つの遭難事例が取り上げられている。
いずれも同行者がいればさしたる困難も無かったろうが、単独のゆえに事態が深刻になった、という事例でもある。
そのいずれもが生還できているが、それは生き抜こうという強い意志のもとに可能な限りの努力をした上で、幸運が重なっている。

Hnter374 「羅臼岳」「両神山」「奥穂高」「尾瀬ヶ原」などにおける遭難事例。

単独行では何かアクシデントが発生した場合、基本的には自力で対処しなければならず、パーティの場合に比べてやれることには限界がある。

ならばパーティなら安全なのか?
確かに事故時の対処方法には幾つかの選択肢が得られる場合が多い。
しかし、むしろパーティであるが故にリスクを大きくすることもある。
例えば単独なら引き返すような状況に見舞われた場合、なまじパーティを組んでいるため撤退の判断を誤り、大量遭難を惹起している例はとても多い。

単独行の経験を積んでいるほど蓄積された危機管理能力が高くなり、そのお陰で危機脱出の成功率を高める、というスパイラル的な効果があり、なまじっかな「烏合の衆」的なパーティより危機対処能力は高い。

要は遭難は単独であろうと、パーティであろうと起きるときは起こる、ということ。
つまるところ、運、不運が生死を分けるとしか言いようのない世界なのである。

私の場合、年間80日ほど山に入るがそのほとんでは単独
とは言ってもヤワな山歩きがほとんどで、極端な例を引き合いに出すようだが、ラインハルト・メスナーなどが行うヒマラヤの高峰の無酸素「単独行」という語感からくる厳しさなどとは程遠いいもので、単なる「一人歩き」である。
大抵の場合、チャントした道があり、要所には道標が立っている、という登山と言うにはおこがましく、山道歩きに過ぎない。
それでもリスクがないということはない。
実際に何度か”マズイナ”という目に会っている。

単独行といえば日本で最も有名な「アラインゲンガー(単独行者)」加藤文太郎が冬の槍ヶ岳で遭難死したのは二人連れの山行だった。

Img201    Hnter371    Hnter372    Hnter383

自由度の高さの魅力と背中合わせにあるリスクを秤にかけたら、私はやはり一人歩きを止めることができない。
一人歩きが出来なくなった時、その時が私が山歩きを終える時になるだろう、きっと・・・。

せめて、リスクを出来るだけ小さくするために必要な備えをし、覚悟は決めておこう。
それでも万一の場合、誰かに迷惑をかけてしまうことは避けられないだろう。
切実にそう思う。
でも、そうなったらそうなったで仕方ない・・・という無責任の謗(そし)りを免れないような気持ちが心の片隅に巣食っているのです。

こんな身勝手な私にご寛容のほどを・・・・・・。

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コメント

どんなに気心の知れた仲間でも共に行動する限り意識しなければならない煩わしさがあるのは事実ですね。
単独行動、つまり一人は〔精神の貴族〕である自分をを味わえます。

山歩きで他者と行動を共にする時のほうが、喜び楽しみを共有できるし、アクシデントがあった場合は心強いという利点が挙げられますので、これはもう個人の好みでしょうね。

普段の生活状態においても同じではないでしょうか。

私なども、たまに大勢の中に居た後は、一人の優雅な時間に〔あくまで気分だけ〕浸らないと本来の自分を取り戻せないのです。

投稿: おキヨ | 2012年9月14日 (金) 12時02分

おキヨ様
例えばオリンピックの競技のTV観戦などで、日本が勝ったときのような場面では、その感動を大勢で共有すると、感動はより増幅するように見えます。
反対に暗い映画館で得られる感動のようなものは、一人でその思いを自分の心の中に沈潜させておきたいですね。
山歩きにはその両方の要素があります。
それで、一人歩きとグループ歩きのスタイルが共存します。
それぞれに良さがあります。
ただ、人には「群れる」ことが好きなタイプと、その反対のタイプがありますね。
私の場合は「和して同せず」が自然体なので、パーティ行動も否定しないのですが、一人歩きが自然な落ち着き先になるのです。

このあたりの行動様式はおキヨさんとかなり近いのではないでしょうか?

投稿: 風花爺さん | 2012年9月15日 (土) 06時42分

私もこのところ単独山行が多いのですが
単の良さは当日のお天気と相談しながら
臨機応変に決められると云うことに尽きると思います。
気分が乗らなければ今日の山行や~めたでいいのですから~

仲間と約束をし当日のお天気の判断に迷うと
気分が乗らなくても
行けるところまで行こうかと多少目をつぶってでも出かけようと
なります。

只単だと一寸したアクシデントでも助けを呼べず、仲間が一人でもいれば
助かる筈も助からずに命取りになるリスクは大ですネ

できるだけ年相応の山にしか出かけないよう努めていますが
山歩きイコール怪我は背中合わせ
下山まで緊張感は保ちながら自己管理に徹したいと思ってはいますが
なんどき綻びがでて人様に迷惑をかけもかも知れない輩のひとりです。

投稿: かおり | 2012年9月18日 (火) 10時58分

かおり様
事故というものは登山時に限らず、フイに発生しますね。
油断もありますが、転倒など多くは予知不能な不意打ちですね。
私は昨今、これが連発していまして、大げさに言うと、満身創痍状態です。
これまで山では何度もヒヤリする破目にあっています。
何とか自力で切り抜けてきてはいますが、運にも助けられているので、いつまで女神が甘い顔をしてくれるかどうか、心配です。
万一のリスク回避のための一番有効な方法は「一人歩き」を止めることですが、十分に分かっていてもそれは出来ない相談です。
単独行でも人がゾロゾロ歩いているような山ならば、万一の場合なんとかなるでしょうが、それでは単独行とは言えないようにも思えますし・・・。
そうなると、せめて出来るだけの備えを整えて、覚悟を持って山に向かう、ということに尽きるのでしょうか?

そろそろ体調が戻るころなので、この秋からの巻き返しを図らなければ、と思っているところです。

投稿: 風花爺さん | 2012年9月18日 (火) 15時27分

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