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串田孫一の世界再現

2012年9月28日

原因の分からない、体中のアチコチの小さな不調が続いていて、山歩きもままならず、山荘近くのおなじみのエリアでお茶を濁しています。
ために、山歩きについては「特記事項なし」が続いています。

ところで今日は串田孫一さん(1915~2005)の登場です
思想家、哲学者、大学教授、随筆家、詩人、登山家・・・
串田さんには一言では言えないたくさんの顔がありますが、私には山を舞台にした串田さんの多彩ぶりがまぶしく見える方です。

山歩きをするようになって、それまでは全く無縁のジャンル「山の本」で最初に手に入れたのは多分昭和32年に出版された串田さんの『若き日の山』だったろうと思います。
自分の感性と合う作品に最初に触れるという幸運に恵まれて、以来私の貧しい書棚で、串田さんの著作が一番多くのスペースを占めることになりました。

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とにかく呆れるほどの多作家でした。
チビた鉛筆一本、アメンボウ一匹でも、世の中の森羅万象ことごとくが串田さんにかかると魔法のような文章で活写されてしまうのです。
次々に生み出される著書を追っかけていくのはいろいろな意味で難儀なことでした。

串田さんが遺したたくさんの遺産の中でも重要な一つが1958年3月に創刊し、25年後300号で終刊した『アルプ』でしょう。
この一風変わった山の文芸誌の編集の中心として、串田さんが遺したものはその特異性においてこの世界で唯一無二のものでした。

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その『アルプ』の文化的な遺産を風化させないようにと、限りない愛惜を込めて山崎猛さんという篤志家が、私財を投げうって1992年、知床・斜里町に開いた「北のアルプ美術館」
そこに串田さんの書斎を再現することに着手してから6年をかけて6月に完成しました。

私がこの美術館を訪ねたのが2007年。
その折、山崎館長からその構想を聞いていて、完成の暁には是非再訪したいと思っていました。

Img223  知的生産の場と言うものはこれくらいの乱雑さが必要なんだな、と感心させられますね。
この中から必要な一冊を探し出すのは神業ですね。 
Img226 こちらが本物です。

Img224 串田さんはハープも弾いたのでしょうか? 

こここそ串田さんの膨大な知的生産の空間です。
ほんものそのものでなくても、館長が意図した空気感は伝わるだろうと思います。   

ところが、いよいよその機会が得られることになったのに、いざとなると知床はなかなか遠いのです。
北海道は私にとって年を追うごとに遠ざかっていきます。
いつか、北の大地を踏むこのはこれが最後、というその日までには必ず訪れて、生前その謦咳(けいがい)に触れることのできなかった人の仕事場で、串田さんを偲んでみたいのです・・・切に・・・。

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コメント

私も北海道は少なからず訪れているというのに、知床には一度も行ったことが無いのです。
写真集、絵画などで知る知床は憧れの地でもあります。
串田孫一氏の書斎、居間を拝見してすると、人物の知性の高さ、思考、性格 などの人間性まで想像されますね。。。

風花さんが串田孫一氏に深い憧憬の想いを寄せるのは底に同系のものが流れているものと判断します。

お身体の調子が早く以前の元気を取り戻すよう願っています。

投稿: おキヨ | 2012年9月28日 (金) 12時11分

おキヨ様
静かな知性の高峰・串田さんには当然多くの崇拝者がいました。
串田さんの文体を真似たこれらのチルドレンは「クシマコス・エピゴーネン」などと揶揄されました。
私もその一人でありたい、と思っていたことは間違いありません。
しかし、仮に気質において同質のものが流れていたとしても、感受性や表現力で致命的な差があるんでしょうね。
本物とただの模倣者の間には越えがたい深い谷があって、これは逆立ちしてもどうにかなるというものではありません。
絵画の世界でも似ているんでしょうね。

折角涼しくなったので、早く建て直しをしたいと気は焦るのですが、もう少し時間がかかりそうです。
余計なご心配をお掛けします。、

投稿: 風花爺さん | 2012年9月28日 (金) 17時20分

串田さんは、写真のアイリッシュ・ハープや、ブロックフレーテ(リコーダー)を演奏したようですね。絵も描いたようですし、多方面に豊かな才能のある方だったのですね。
斜里に美術館があるのですか…。知床は若い時に一度だけ行ったことがあります。決して俗化することなく、いつまでもこのままの自然を保ってほしい…と強く願ったものでした。

(写真の中で注目したのは「ルンペン・ストーブ」です。まだ実際に使われているのでしょうか…。)

投稿: 淡雪 | 2012年9月28日 (金) 22時02分

淡雪様
串田さんが、親交のあった尾崎喜八さんに触発されて「ブロックフレーテ」に親しみ、山へも持参して吹いていたことは知っていましたが、ハープの演奏については知りませんでした。
このほど「北のアルプ美術館」で出版した『串田孫一の小宇宙』に載っている写真には、ハープを奏でている串田さんの姿があります。
そういえばお姉さんの影響でハープを弾くようになった、というようなことをどこかで読んだ記憶があります。
居間にあるルンペンストーブは串田さんが存命中に、既にインテリア化していたのではないでしょうか?
何しろ、自転車の鍵など、錆びた鍵を束にして飾っていた、という風変わりな方だったようですから・・・。

投稿: 風花爺さん | 2012年9月29日 (土) 06時45分

風花さま 余計なことを書いてすみません。
私はルンペンストーブを懐かしく思っているものですから…。
簡易で粗末なストーブのように思われがちですが、火力が強くて、なかなかの優れものでした。
二台ひと組で、一台が燃えているときは、もう一台は石炭を詰めたまま待機する(仕事がない)…そこからルンペンストーブと呼ばれたと、父から聞いています。上から点火して石炭をコークス状にして再燃焼…??もう理屈は忘れてしまいましたが、「合理的」という理由でわざわざこれを選ぶ人もいました。立派なストーブが出回るようになってからもです。串田孫一氏もそうだったのかしら…と、ふと嬉しく思ってしまいまして…。
石油ストーブが主流になってから、もう50年以上過ぎているのですから、すでに「インテリア」だったのでしょうね。
美術館を訪れてみたいのですが斜里はあまりに遠く、せめて写真で雰囲気を味わえる幸せに感謝しています。

投稿: 淡雪 | 2012年9月30日 (日) 22時46分

淡雪様
私にはこれがルンペンストーブだ、という際立った記憶は無いのですが、小・学中生時代、教室で弁当を温めた、あれがそうでしょうか?
ダルマストーブは駅の待合室や、山小屋など至る場所にあって馴染み深い存在でしたね。

投稿: 風花爺さん | 2012年10月 1日 (月) 11時31分

居間の写真を見て中央にあるものが、ひと目で「ルンペンストーブ」と分かるのは、昔、北海道で暮らしたことのある、5、60歳以上(?)に限られるのかも知れません。ダルマストーブは厚い鉄製のしっかりした作りですが、ルンペンストーブはそれよりも小さく、薄くて軽い、簡単に持ち運べるストーブです。どちらかというと、貧しい感じのするストーブなのです。それが串田孫一氏の居間にあることに、何とも言えない感動を覚えました。
話が横道にそれてしまってすみません。関東に暮らすようになって長くなり、今の北海道の暖房事情はわかりません。

投稿: 淡雪 | 2012年10月 1日 (月) 12時44分

風花さま、昭和32年発行の「若き日の山」から…随分多くの串田孫一氏の著作を読んで来られたのですね。
その山の麓の草ひとすじほどしか味わったことがない私ですが、改めてもっと串田氏の文章を読んでみたいと思いました。

ハープの音色に魅かれ、以前に小型のアイリッシュハープを習いたいと思った時期がありました。でもそれは夢に終わり、今はCDで聴くばかりです。

投稿: 淡雪 | 2012年10月 3日 (水) 12時29分

淡雪様
串田さんはその生涯で380冊ほどの著作を残されています。
私が所蔵しているのはその半分ほどです。
そしてその全てを読破しているわけでもありません。
そのほかに主筆として『アルプ』300号に全て書いているわけですから、その筆力たるや、常人のなせる業ではないですね。

居間にあるハープは「アイリッシュ」ハープというんですね。
普通のハープに比べるとずいぶん小ぶりですね。
ハープは演奏会ではなかなか主役になりにくいですが、モーツアルトの作品に「フルートとハープのための協奏曲」という名曲があり、ここではハープが一方の主役です。
リリー・ラスキーヌ(女性)というハープの名手の演奏で、私も大好きな一曲です。

投稿: 風花爺さん | 2012年10月 3日 (水) 15時53分

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