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映画「ヒマラヤ 運命の山」を観る

2011年8月6日

ラインホルト・メスナーという超人がいる。
1944年南チロルに生まれた登山家である。
超人の所以は?
アルパインスタイルで、しかも無酸素でヒマラヤ8千m峰を登るという登山スタイルを最初にやってのけた男である。

ドロミテで登攀の腕を磨いたラインホルトは若くして、ヒマラヤで「魔の山」とか「人食い山」とか呼ばれていた「ナンガ・パルパード」8126mのドイツ遠征隊に招聘される。

かつて、ナンガ・パルバート(ナンガ・パルバット)=NANGA PARBAT(裸の山という意味)はドイツ宿命の山とされていた。
1932年以来、ドイツは数次の遠征隊を出し、1953年ヘルマン・ブールが奇跡の単独登頂するまで多くの著名な登山家を失っている。

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映画は1970年そのナンガを南の「ルパール壁」から26歳のラインホルトが弟のギュンターと挑んだ物語。
登頂には成功するが、全ての装備を捨て、丸腰になった兄弟は、頂上は落としたが、登ったルートを下降する術がなかった。
やむなく下降ルートを未知ではあるが、やや容易と思える、西側「ディアミール谷」に取った。


決死の下降での後、もう少しで安全地帯というところで弟・ギュンターは雪崩で行方不明となった。
瀕死のラインホルトは這うようにして山麓にたどり着き地元民に救われた。

この登山は図らずもナンガを東西に初めて横断したことになるが、隊長ヘルリヒ・コッファーは「名誉欲に駆られたラインホルトが初めから計画したもの」と非難し、登頂を認めなかった。

登頂者としての栄誉は、実際には第2登のフェリクス・クーエンとペーター・ショルツに与えられた。

アタック中での信号弾の手違いもあって帰国後、両者の確執が生まれ長い間、互いの不信を募らせていた。

R・メスナーはこの登山キッカケにして大規模な遠征隊よるヒマラヤ登山と絶縁し、アルパイン・スタイルによる、無酸素でのヒマラヤ8千m峰14座全座の登頂という偉業を、世界で最初に達成する。

Photo 映画のシーン。メスナー兄弟の高所ビバーク。

Pokegi_yukata284 1978年、単独で再登頂した時のセルフタイマーによる頂上撮影。

ギュンターの遺体は遭難から35年を経た2005年、ディアミール河の末端で発見された。  

待ち遠しい思いで待っていた封切日。
その一番上映で観た。

さて、映画の出来栄えは?

映画でヒマラヤの大きさや、その巨峰への登攀がいかに困難であるかを伝えることは、不可能に近いことを、改めて認識させる、そういう出来栄えであろう。

しょせん、人が作るものの限界である。                                   

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