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唱歌「田道間守」の思い出

2009年11月15日

詩人にして登山家の浜田 優さんの近著『流れる山の情景』は、私にとっては久々「名著」の誕生を感じさせてくれました。

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詩と、詩を思わせるエッセイと、作品への思いと、沢遡行の記録で構成されています。

この中で思いがけないことに出会いました。
少年時代の懐かしい思い出を甦らせることです。

作品解説で伊藤静雄の絶唱「曠野の歌」についての考察を試みています。

この詩は伊藤静雄が「アルプスの画家」として知られている「セガンティーニ」のアルプス三部作の中の「アルプス・死」に着想を得たと言われています。

この詩の中に「非時(ときじく)の木の実塾(う)るる・・・・」
という一行があります。

「非時の木の実」とは「橘」の古語だそうです。
この「橘」をめぐる一つの哀しい物語が『古事記』に登場します。

第十一代「垂仁天皇」仕えた忠臣「多遅摩毛理」(田道間守=たじまもり)のことです。
天皇は遠い海の向こうの常世の国にあると言われる不老長寿「非時の木の実」を持ち帰るよう命じます。
田道間守は幾多の困難の末、10年をかけてようやくそれを手に入れ帰国します。

しかしそのとき既に天皇は崩御されていました。
悲嘆のあまり田道間守も墓前で死んでしまいます。
まこと忠臣の鑑です。

戦時下での「忠君愛国」の思想が大手を振って歩く時代。
田道間守のような存在は当然、格好な教育材料になります。

この忠臣「田道間守」を歌った唱歌にそのままの「田道間守」があります。
唱歌としてはマイナーだったので、知らない人が多いと思いますが・・・。

私も特別に好き、ということも無かったのですが、特別な思い出があるのです。

それは小学校(当時は国民学校)2年か3年生のころのことです。

担任のK先生(当時20代だった女の先生)がどういうわけか分かりませんが、私にこの唱歌を良く歌わせたのです。

教室に入ってくるなり、いきなり”歌いなさい”と有無を言わさず命令することなどもありました。
内気だった私はそのたびに、ひどく恥ずかしい思いをしながら歌ったものです。

記憶にはないのですが、今では信じられないことですが、多分、哀調を帯びたボーイソプラノだったのでしょうね。

変声期を過ぎてからは酷い声になって、歌うのはキライになりましたが・・・。

  ♪ かおりも高い たちばなを     積んだお船が いま帰る
     君の仰せをかしこみて 万里の海をまっしぐら
    いま帰る田道間守 田道間守

        おわさぬ君の みささぎに    泣いて帰らぬ まごころよ
        遠い国から積んできた      花たちばなの香とともに
        名はかおる田道間守 田道間守   ♪

モンペ姿でしか思い返せないK先生。
私が今一番再会したい先生。
今どこでどうしているでしょうか・・・?

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コメント

田道間守・・・ぜんぜん知らない歌ですねぇ。。。曲を聴けば、もしかして聴いたことのある歌かもしれませんが。

そのような思い出のある先生ならお逢いになりたいでしょうね。お探しになる手だてはないのでしょうか?
あの町でしたらご住所が簡単に判るのではとおもいますが、当時独身でしたらご結婚で住所が変わってしまったということもありますね。

先生はご高齢でしょうからお早めに。。。^^

投稿: おキヨ | 2009年11月15日 (日) 22時01分

おキヨ様
誰もが愛唱する有名な唱歌と違い、よほどの唱歌マニアでないと知らない歌だと思います。
知らなくて当たり前のレベルでしょうね。
私とて、こんな思い出がなければとうの昔に忘れていると思います。
K先生は健在なら多分80歳代と思います。
学年末に他の学校へ転勤になって以来全く消息を聞くことはありませんでした。
私は良く覚えていても先生の方はとっくに忘れているでしょう。
このままで良いような気もしています。

投稿: 風花爺さん | 2009年11月16日 (月) 06時48分

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