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2009年10月

「佐久の幽巒」への長い旅

2009年10月12日

日航機が墜落した御巣鷹山」の西の方、約8kmほどのところにある「御座山」(おぐらやま・おぐらさん)2112mは、知名度は高くないものの、昔から良く登られている山です。

今は聞きませんが、ある時期、一部の人はこの山の冠詞として「佐久の幽巒」という言い方を使っていました。
難しい言葉ですね。

「幽」は奥深く隠されている、いう程の意味。
「巒」は「山」のことです。
すなわち「幽巒」は「奥深い山」ということになります。
確かに山々が幾重にも重なる長野・群馬の県境にある山ですから、「幽巒」の表現は決して間違っていません。

標高はそれほどではありませんが、周囲の山からは抜きん出ているので、どこからでもよく目立つ存在です。

私がこの山に登ったのは1962年5月。
その時の記録に「大島亮吉が佐久の幽巒と呼んだ御座山」と記してあります。

そのことには何の疑いも持っていませんでした。

                        Photo_2

「御座山」山頂での20台後半の私。
こんなことが出来たのも若さの故。

あるとき「大島」の書いたものを読み返したのですがどう見ても「佐久の幽巒」という表現は見当たりませんでした。
ナンデ! キツネにつままれた、というのはこんな状態でしょう。
大島は1926年4月秩父から信州・梓山まで長い山旅をし、その途中で「御座山(大島は小倉山と)に登り、それを日本山岳会の『山岳』に発表していますが、「幽巒」の「幽」の字も出てこないのです。

それではいったい誰が言ったことなのか?

御座山に関して書かれたものをあれこれ調べてみましたが長いこと謎のままでした。

2007年に山の世界では良く知られている「野口冬人」さんが『書斎のビバーク』を上梓されました。

その中で”意味がよくわからないままに「大石真人」さんが書かれたものから「佐久の幽巒」を知り、引用していることを書かれていました。

そこで今度は「大石真人」さんの書物探しです。
『山岳憧憬』を入手し、「佐久の幽巒」の初出が古い『山と渓谷』誌であることが分かりました。

 Photo                                                 

先日、国会図書館に出向き、昭和22年9月号の『山と渓谷』を閲覧。

ようやくその一文に出会いました。

分かったことは「幽巒」は難解なことこの上ない、幽玄の詩人「日夏耿之介」の作品から引用したものでした。
「鮮(あた)らし 驍(つよ)し 湛(たの)し  煕(たの)し 幽巒に入る」

こんなことホント、どうでも良いことです。
分かっても、分からなくても私の人生に何の影響もありません。
その追求のために費やした時間がもったいない・・・・

分かってはいるのですが・・・
それでも長年頭のどこかに住み着いていた「宿題」を果たして気分は「ハレ」です。

今度は、もう一度あの岩の山頂に立ちたい、という宿題を果たさなければなりません。

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故国で蘇る「乙女の祈り」

2009年10月9日

このところTVやラジオで、多分、日本でもっともポピュラー(通俗的)なピアノ曲「乙女の祈り」を話題にしていました。

今はどうなのか知りませんが、昔はピアノに親しむ人は先ず「バイエル」から始め、鍵盤に慣れてきて、練習曲以外のものにも関心が移ってくると、必ず弾きたくなる定番の曲が幾つかありました。

ベートベンの「エリーゼのために」とかランゲの「花の歌」とか・・・。
その中でも多分ダントツの人気曲は「乙女の祈り」だったと思います。

私も何かの折に知ってから、いっぺんで気に入り、高校生で始めたピアノで、一番熱心に練習した曲になりました。
 ~才能も無く、独学だったため、まったくものになりませんでしたが・・・

「乙女の祈り」は左手で弾く伴奏の和音がシンプルで暗譜しやすく、小品ですが、、いちおう変奏曲になっているので、練習し甲斐のある曲です。

作曲したのはポーランドの若い女性<テクラ・ボンダジェフスカ>です
~私が知ったころは<バダジェフスカ>と呼んでいましたので、この呼び方には馴染めませ んが・・・
「Badalzewska Tekla」 をポーランド読みをすると、こうなるようです。

彼女が17歳の時に作られたこの小品は、日本では有名なのに、故国のポーランドでは今、彼女のことも、「乙女の祈り」のこともほとんど忘れられているようです。

ポーランドといえばもちろん「ピアノの詩人・ショパン」
そして「メヌエット」で知られている<パデレフスキー>などを排出している音楽性豊かな国なのに、なぜなのでしょう。

ソ連の圧制下にあった長い冬の時代、「祈り」という言葉が共産主義のイデオロギーに合わないという理由で、声をひそめざるを得なかった人々が、この曲を弾いたり、聴いたりするとをはばかっているうちに、次第に忘れられていった、ということらしいです。

「乙女の祈り」の楽譜がフランスで発表されて知られるようになってから150年。
またポーランドが民主化されて20年。

そんな節目を迎えて、ワルシャワ生まれで、堤清二さんの知己を得て、日本で生活している<ドロタ・ハワサ>さんという女性が、ポーランドですっかり忘れられている「乙女の祈り」をもう一度蘇らせる活動を進めていることを、TVやラジオで採り上げているのですね。

Photo この写真はハワサさんがワルシャワで探しあてた<ボンダジェフスカ>の像をお借りあいました。

左手に持っているのが「乙女の祈り」の楽譜だそうです。

彼女は7人の子供の母親になったそうですが、わずか27歳で夭折していす。  

故国では忘れられているのに、海外で評価を得て、その結果、故国で再評価される、ということはよくあることですね。

今、一人の女性の力で、ズーッと昔の女性の存在が蘇ろうとしています。

乙女の祈り」が通じたのでしょうか?                                 

                                        

                                                   

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