竹内ヒサ~「剱岳」に最初に登った女性
2009年6月15日
新田次郎の原作を映画化した「剱岳・点の記」の公開がいよいよ近づいてきました。
山好きならずとも楽しめる出来栄えになっているようで、ワクワクしています。
~蛇足ですが、「剱岳」の表記はマチマチでしたが、03年、国土地理院は「剱」に統一しました。
また、その標高にも変遷がありましたが、04年「最高点の高さ2999m」で確定しました。あと1メートル。何とかならないものでしょうか?
あらすじは、当時未登頂とされていた「剱岳」に、はからずも「日本山岳会」との初陣争いの様相を呈した「陸地測量部」がその面目にかけて、三角点設置のため挑戦するものです。
経過は
1、明治40年(1907)7月13日、測夫<生田 信>らによって登頂成功。
歴史に残る初登頂になるはずだったのが、なんたることか、既に登頂者がいたことを示す緑色に変色している銅の「錫杖」と、錆びた「槍の穂」を発見。
奈良時代後期から、平安朝初期に作られたものと推定されている。
当初柴崎家に保存されていたが、現在は「立山博物館」の所蔵品。
2、同24日、この物語の主人公、測量官<柴崎芳太郎>一行が三角点設置のため登頂。しかし、余りに険しいため資材を運び上げることが出来ず、一本の木柱を立て「四等三角点とした。
「日本山岳会」の会員の登頂はそれから2年遅れた、1909年7月24日<吉田孫四郎><河合良成>ら4人が、宇治長次郎たちの案内で登った。
閑話休題
さてここからが本題で、これは1920年(大正9年)7月30日、日本人女性として最初に「剱岳」登頂に成功した<竹内ヒサ(22歳)>(1898~1934 )の物語です。
しかも、この時の行程が凄いのです。
大正9年(1920)7月22日長野県・大町から出発し、針の木峠を越え、24日黒部谷横断。
ザラ峠、立山・一の越、立山と繋ぎ29日「長次郎谷」で野営。
そして30日に長次郎雪渓を詰めて女性として初めて剱山頂に立ったのです。
その後、小窓を通過し、馬場島へ下り、8月1日「上市」駅についてこの長い登山を終えています。
今日でこそ<田部井淳子さん><今井通子さん><渡邊玉枝さん>などあまたの女性登山家が輩出していて、「剱岳」だけなど昨日今日の山登り初心者でも登ってしまいますが、ヒサのこの壮挙の時代では、それが持つ意味は全く異なります。
ヒサの夫<鳳次郎>が彼女を伴い「剣岳」に登った記録は1921年の「山岳」第15年に「女子剱岳登山記」として発表されましたが、文中「妻」としか記していなかったため、後年の登山史研究家が間違え、長いこと<竹内いさ>とされていました。
このことに<ヒサ>の甥の<岡田 汪>さんが気づき、せめて名前の誤りだけでも正したいと思う一念で、苦労して古い資料を探し出し、丹念に整理して一冊の本したのがこの『夫婦登山ことはじめ』です。
この本は2004年、私家版として刊行されていますが、私が知ったのは最 近のことで、もはや入手することは出来ないだろうと、諦め半分で照会したところ、幸運にも手にすることができました。
営業出版されたものと異なり、刊行を知る機会が無いのでとても貴重なものです。
これなくしては登山史上に顕在化することのなかった数々の情報がギッシリつまっています。
女性登山の黎明期、ヒサがどんな気持ちで、どんな服装で、どんな装備で、どのように困難な登山をしたのか、興味は尽きません。
同じ<新田次郎>の作品に『芙蓉の人』と言うのがあります。
明治28年、私設の「富士山測候所」を建てた夫を支え、厳冬期の富士山頂で、生命の危機を克服しながら、72日滞在した<野中千代子>の例といいい、明治の女性の「凛」とし立ち姿に、ただただひれ伏す思いがします。
この時代、妻はひたすら耐え、黙って夫に従い、支える、と言う内助の功に徹するのが美徳とされてたとはいえ、千代子やヒサの凛とした姿は人々に感動を与えずにはいません。
その、主客の立場が逆転したのはいつごろからなんでしょうか?
世の夫君がたが再びかつての栄光を取り戻せる日がはたしてやってくるのでしょうか?
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コメント
剱岳にはるか昔誰かが登った形跡があったというのは明治の登頂者は驚いたでしょうね!映画も前評判がいいようで楽しみですね。
剱岳は2999メートルということですが山の高さもときどき変わる事がありますよね。そのうち3000メートルに。。。(^o^)しかし忘れない数字です。
明治時代に女性が3000メートル近い山に登るとは想像を絶する苦難があったことでしょうね。装備などない時代ですもの。。。
いやはや明治の女性は強い!!
”世の夫君が再びかっての・・・・”ないと思います〔言下に。あっさり(^o^)〕
投稿: おキヨ | 2009年6月15日 (月) 13時48分
おキヨ様
昔の話です。
「奥穂高岳」は日本第3位の標高ですが、2位の「北岳」とは僅か2mの差。
口惜しい思いをしていた「穂高山荘」の主があるとき頂上に3mの高さに岩を積み上げ、”これでおれんとこが2番じゃー”と叫びました。
しかし、国土地理院はこれを認めず、未だに3位に甘んじています。
「剣岳」もあとたった1mなんですがね。
日本では3千m峰というのは貴重なのです。
もっとも「剣岳」もかつて「3003m」とされていた時があったのです。
おキヨさんの宣告のとおりです。
「男」の復権はありえないですね。
分子生物学者の<福岡伸一>さんによれば生命の基本仕様は女性で、その出来損ないが男だそうですから、人類の歴史では始めから、そしてこれからも永遠に女性上位なんですね。
・・・ということで、潔く野望は捨てましょう!
投稿: 風花爺さん | 2009年6月15日 (月) 17時53分
こんばんは~!
いよいよ明日から公開される「剱岳・点の記」
前評判もよさそう・・・で早速、本棚で埃まみれの「剱岳・点の記」を
半分ほど読み終えたところです。
ところで剱岳女性初登頂の「竹内ヒサ」さんのこと 初めて風花様のブログで
知ることができました。
(私にとって色々と教えて頂ける得難いブログです)
10日間余の日数をかけ、今と違って装備や服装、不便な交通など想像を絶する
困難を極めたことでしょう。
今の至りつくせりの百名山詣でと比較にならないでしょう。
おキヨさんと青果様に風花様の丁々ハッシのやりとり
掛け合い漫才のようで(失礼)大いに楽しませていただいています。
投稿: かおり | 2009年6月19日 (金) 23時15分
かおり様
がさつな私めが、風花様の格調高いブログをおとしめていいるようでございます^_^;
投稿: おキヨ | 2009年6月20日 (土) 11時19分
かおり様
「剣岳」はかおりさんにも思い出に残る山でしょうが、私にとっても一際印象深く、生涯忘れることのない山です。
「点の木」はかおりさんも当然ご覧になるでしょうから、ブログで感想をお聞かせください。
私ももちろん観ますが、日程的に封切から日にちが経過してからになりそうです。
登山史には多少興味がありますので、関係する本をひっくりかえしていますが、所詮体系的な勉強をしていないので、断片だけが散らばっているだけです。
おキヨさんと青果さんの空中戦がまた何かのキッカケで展開されるのが楽しみです。
投稿: 風花爺さん | 2009年6月20日 (土) 20時07分
おキヨ様
私のブログが仮にも格調高いものであるならドシドシ貶めてください。
おキヨさんの鋭い舌鋒が本格的に炸裂したら、へこんでしまうかもしれませんので、その辺りは少々の手加減をお願いしておきますが・・・。
投稿: 風花爺さん | 2009年6月20日 (土) 20時11分
‘吉永小百合‘のようなおキヨ様
貶めているどころか的を得た鋭いつっこみに
いつも納得させられます。
風花様の格調あるブログを盛り上げている第一人者
女性上位の世の中、凄い説得力を感じます。
がさつなんてとんでもございません。
羨ましいぐらい引き立て、輝いています。
風花様同様 少々の手加減を・・・(笑)でなく
貶めて下され賜うを・・・望んでいます。(爆)
風花様 横レスで堪忍どす!!
投稿: かおり | 2009年6月20日 (土) 22時29分