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2009年2月

本居宣長の思い出

2009年2月11日

タイトルに惹かれ、中国文学者・高島敏男さんの著書『座右の名文』を読んでいます。採り上げられている十人の文章家の中の「本居宣長」の項を読んでいて、遠い、遠い昔の出来事を思い出しました。

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人の自慢話というのは耳にザラつく、ということは良く分かっているつもりながら、あえてお耳障りを一つ・・・・
人様に自慢できるようなことは殆んど無い私なので、これはレアものです・・・ナーンて。

それは小学校(当時は国民学校)2年生のときのことでした。
ある授業の時、先生が「日本人の精神(心)とはどういうものか言ってごらん」というような質問をしたのですね。

2年生に答えられるような質問ではありませんよ。

そのときまだ幼かった(当然ですが)私が凛々しくも、決然(?)と手を挙げ、胸を張って(?)言いました。

敷島の 大和心を 人問わば
          朝日に匂う 山桜花」

先生は腰を抜かすほどビックリしました。(多分)
2年生から<本居宣長>が出るなんて想像を超えるできごとだったはずですから。

入学前から本の虫で、手当たり次第に本を漁って、時間を忘れ読みふけっていた中で、たまたま覚えいたのでしょうね。

意味もよく分からないまま、咄嗟に思い浮かんだ一首です。

1年生当時は病弱で、おまけに幼稚園から入学した街中の同級生の世間慣れした態度へのコンプレックスで、イジケテいた私が、この一首で俄かに脚光を浴びる存在になりました。

想像ですが、教員室で”凄い生徒がいるぞ!”などと大いに話題になったと思います。

太平洋戦争が始まり、緒戦で戦況を有利に進めていて、大いに国威を発揚していた時代背景ですから、国粋主義の学者としてもてはやされていた宣長の歌は見事に時代とジャストフィットしていたのでしょう。

それを諳んじている私は「天晴れな小国民」というわけです。

かくして、私の眠っていた才能(?)が一気に目覚め、どちらかといえば劣等生に近かった私が、学年末には優等生の総代として賞状を受けるまでに駆け上がってしまいました。

今、振り返ってみればあの頃が私の頂点で、以後、60年以上に亘り、長い長い坂をユックリ下り続けているようです。

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