2008年7月9日
梅雨時の閑話を一つ。
一時(2005年)、朝日新聞の後押しを受けて、華々しく花火を打ち上げた岩崎元郎さんの「ぼくの新日本百名山」は今どうなっているのでしょう。
発表当時は山岳誌でもそれなりの取り上げ方をしていましたが、このごろはさっぱり消息を聞きません。
私の周辺でこれが話題になることは全くありません。
無視とか黙殺というのではなく、そもそも関心が無いようです。
「山の本」51号(05・春)でも本人登場のうえ、多くの論評がありますが、大方は否定か無視。
結果はそこで指摘されているように推移していますね。
特別な見識を持っているようには思えない普通の登山家だった岩崎さんが、たまたまNHKの山歩き番組に登場し、マスコミへの露出度が高くなったことを利用した朝日新聞の無見識な企画と、それに乗った氏のピエロ振りが露呈してしまった結果ではないでしょうか。
深田久弥は、最初に「日本百名山」選定を構想してから、何回かの試行錯誤の末、およそ20年の歳月を経て完成させています。
選定に当たっては「名山」とする三つの基準を設け、スタンス、ポリシーを明確にしています。
「新日本百名山」と「新・百名山」の選定を宣言したからには、相当な覚悟と準備をしなければ久弥を超える選定は出来ないでしょう。
ところが、ご本人も”私が還暦記念に、岩崎個人として登りたい山を選んだ”と語っている(「山の本」 №51)程度の、思いつきで選んだものですから、結果は惨憺たるものになってしまいました。
単なる思い付きと、商業主義とのコラボのせいで、選定のスタンスが定まらず、当然の結果としてゴチャ混ぜの100山になってしまいました。
これならローカルに徹した地方版「100名山」のほうがまだましというものです。
きちんとした「名山」の定義をもって臨めば、大方は深田・百名山と重複するでしょう。
現に「文芸春秋」2000年7月号で近藤信行、山口耀久氏と三人でした「新・日本百名山」という企画座談会では、10座を入れ替えるにとどまっています。
しかし、それでは改めて「新百名山」を選定する必然性が無い、という批判を浴びることは明白ですから、オリジナリティを出そうとして、1県1山などと、行き当たりばったりの要素を入れ、無理やり別の48座を選んでしまいました。
その結果、方向性がグチャグチャになり、とても「名山」とは呼べないような山がリストアップされてしまいました。
また、登ってもいない山を選んでいることなども深田久弥の姿勢に比べ、余りにも無責任というそしりを免れないのではないでしょうか。
登ってもいないのに、どうして「名山」として評価出来るのでしょうか。
これではインセンティブになり得なくて、登山者から無視されるのも止むを得ないでしょう。
せめて「岩崎百山」とでもして、「名山」を冠しなければ、まだこのような無残な結果にはならなかったのででしょう。
「僕は深田さんのように権威を求めない」ともコメントしているようですが、深田久弥は全く「日本百名山」に権威など求めてはいません。
むしろ、岩崎さんの方が無意識のうちに新しい「権威」を求めていたような気がします。
文庫版の序文で、深田久弥の長男「森太郎氏」から”岩崎さんはマーケティングの面から選ばれた”と評されたことを嬉しそうに書いていますが、私には、これはそうとう辛辣なコメントに思え、もしそこに気づいていないのなら、マーケティングの何たるかも知らない失敗でしょう。
なぜなら、百名山との重複52座、深田クラブ200名山との重複16座と、ほぼ7割が既存の選定と重なっています。
すなわち、既に出されていいる商品の、パッケージだけを代えて、”これは新商品です”と売り出したのに等しいことです。
~何となく、かの囁き女将の「船場○○」を思い出してしまいます。
これでは商品としての新鮮味、魅力が出るはずはありません。
売れるわけがありません。
これを他山の石として、もう2度と再びこんな愚かしい試みがなされないよう念ずるばかりです。
「日本百名山」は一つあれば十分です。
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