三角点を大切に~再び「点の記」を」観て

2009年7月10日

はっきりしない空模様で足止めが続きます。
そこで「剣岳・点の記」を再び観てきました。

目が節穴状態の私では、2度目にしてようやく見えたことが沢山あって、この映画の出来の良さの理解が少し進みました。

例えばこんな場面。
苦難の末ようやく近づいた「剣岳」山頂直下で、案内人<宇治長次郎>は”私の務めは案内するだけ”として先頭を<柴崎芳太郎>に譲ろうとします。
それを柴崎は”私は最後まであなたに案内して欲しいのです”と長次郎を説得する。

この場面、最初私は、史実的な解釈で、長次郎が「禁忌の山」に最後の一歩を記すことを躊躇って、と読んだのですが、ここは素直に、言葉少なに、2人が互いを立てあう美しいシーンと感動して良いのだと思いました。

この場面はもちろんフィクションです。
思い出すのは「エベレスト」初登頂のときのこと。
下界に下ったとき<E・ヒラリー>と<テンジン>を悩ませたのは”どちらが先に頂上へ着いたのか?”という質問の嵐.。
二人にとってはどうでもよいことだったのに・・・。

この教訓から1954年の「K2」初登頂のイタリア隊は2人の登頂者(A・コンパニョニとL・ラチェデリ)の名前を長いこと公表しなかったのです。

山の世界での絆が下界に下りた途端に、世俗にボロボロにされていく、登山史では珍しくないことです。

閑話休題(それはさておき)

書きたかったことは「三角点標石を大切にしましょう」ということです。

                                           

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「剣御前」に設置されている三角点と「剣岳」
             (山と渓谷誌から)

この映画に描かれる測量作業の困難さは、決して作り物では無いでしょう。
全国には約103300点の標石が設置されているそうです。
それらの困難な作業の殆んどが、誰の目に触れられることなく、語れることも無いままに、ヒッソリと進められられたもの。

陳腐な言い方ですが三角点標石は「血と汗の結晶」なのです。
その結果として、貴重な文化財、公共の財産になっているのです。
大切にしなくてはならないことは自明。

なのに、無神経な人が多いのがとても気になります。
標石を囲んで車座になり飲食するグループ。
写真を撮りたい、タッチしたい三角点愛好者には迷惑です。
標石に尻を乗せている人・・・ 椅子ではありませんよ。

中にはあろうことか、上にコンロを載せて煮炊きする人たちまで。
こんなことを目撃すると、黙っていられず、ついお節介な注意をしてしまいます。
”ウザイジジイだ!”という雑言を背中で聞きながら・・・

山を心から愛せる人だったら、山頂に上りついたとき、三角点を探し、その設置に至る労苦を偲び、また山頂に登れた喜びの発露として、ソッと物言わぬ御影の頭に手を触れてみるものです。

これまで「第三の男」「ローマの休日」「荒野の決闘」「シェーン」「用心棒」「野菊のごとき君なりき」など、繰り返し観ている名作の数々。
「剣岳 点の記」はその列に加えられそうな一作になりそうで・・・。

キットまた観る!

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映画「劒岳 点の記」を観る

200年7月7日

その制作を知ってから待たされること2年。
ようやく先日、「新宿・バルト9」で観ることができました。

待たされただけのことがある出来栄えです。

名高い名キャメラマンだった木村監督作品だけあって、特に山岳シーンの圧倒的な画面は息をのみます。

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内容は・・・
もともとは非常に地味な仕事である「国土測量」が主題です。

それではドラマになりにくいですから<新田次郎>の原作はこれに「日本山岳会」との初登頂争い、という要素を入れました。

映画ではさらにドラマ性を加味しています。
当時、ただ一つ空白になっている「剣岳」の周辺を埋めることを使命とする「陸地測量部」
陸軍の威信にかけて、山岳会に遅れをとるまいとする陸軍。
当時の一般の人には理解し難い「山に登る」ことを目的として「剣岳」に挑む「日本山岳会」
「禁忌」の山、剣に登ることをためらう地元のこころの揺らぎ。

これらの要素が縦、横の糸になり、綾なす人間ドラマ。

測量手<柴崎芳太郎>、案内人<宇治長次郎>、日本山岳会<小島烏水>などの人物造形も良く出来てるように思います。
自己抑制的で、互いを認め、相手の功を素直に称える明治人の気質が実に爽やかに描かれ、感動的場面が続きます。

柴崎が一度目に剣に登頂したこと、その直後に山岳会のパーティが登頂したことなど、「登山史」上の史実とは随分違ったものになっています。

でも、映画はエンターテイメントの世界。
ドキュメントではないからそんなことは目くじら立てることはないでしょう。

この種の映画としては、リアリティもあって丁寧に作られていると感じます。
ただ、映画でもTVドラマでも常に気になるシーンがここでもありました。
それは重いザックを背負うとき、いとも軽々とヒョイと担ぎ上げてしまうことです。

私は昨今の役者についてはまるで無知ですが、印象ではキャスティングも当を得ているように思えました。

映画の雰囲気作りにかかせない音楽は<ビヴァルディ>の」四季」を初めとする「バロック音楽」でした。
これが不思議に合うのですね。

とにかく、もう一度見たい、と思える映画に久々に出会えました。

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2009年・上期の山行足跡

2009年7月2日

後期高齢者入りした今年はアンチ・エージングの試みとして、これれまでしたことが無かった年間の山歩き日数100日超えを目標にたてました。
この何年か、山歩き日数が自分の年齢を上回ること(これを私はエージシュートなどと一人よがりの言い方をしていますが・・・)を目標にしてきて、曲がりなりにもクリアしてきました。
その経験から、もう一踏ん張りすれば何とかなるのではないかと・・・

ところがこれが案外、そう簡単ではないのです。
どうしても外せない用事がある、天気が悪いなどの理由で、山に入れる日(可処分日)が以外に取れないのです。

さて例によって質より量の6月までのラインアップです。

01月02日  武蔵五日市~奥多摩・神戸岩~大ダワ~鋸山~鋸尾根~奥多摩駅
    07日  赤城・北口登山口~黒檜山~駒ケ岳~大洞
    11日  箱根・明星ヶ岳~明神ヶ岳
    14日  奥多摩駅~本仁田山~鳩の巣駅
    18日  軍畑駅~奥多摩・高水三山~沢井駅
    20日  正丸峠駅~奥武蔵・伊豆ヶ岳~子の権現~吾野駅
    25日  国民宿舎・つくばね~筑波山~筑波神社
    29日  赤城・駒ヶ岳~黒檜山

02月04日  赤城・黒檜山
    09日  皆谷BS~奥武蔵・笠山~堂平山~白石峠~白石車庫BS
    13日  石老山入り口~石老山~大明神山~ピクニックランドBS
    15日  杖突登山口~守屋山往復
    19日  名郷BS~蕨山~藤棚山~さわらびの湯

03月01日  北八ヶ岳・北横岳
    05日  矢倉沢BS~箱根・矢倉岳~万葉公園~地蔵堂BS
    11日  地蔵堂BS~金太郎コース~金時山~足柄峠~地蔵堂BS
    12日  橋場BS~奥武蔵・大霧山~定峰峠~定峰BS
    15日  道の駅・大和~米沢山~笹子雁ヶ腹摺山~道の駅・大和
    17日  猿橋駅~百蔵山~猿橋駅
    22日  道志・今倉山~菜畑山
    24日  天神平から谷川岳
    27日  赤城・地蔵岳~長七郎

04月03日  三国山~生藤山~和田峠~陣馬高原口
   05日  ヤビツ峠~三の塔~塔ノ岳~大倉尾根~大倉
   07日  谷川岳・旧道~芝倉沢出合まで
   10日  谷川岳・マチガ沢 ~シンセン沢出合まで
   12日  角間山 ~単独ラッセルで角間峠までしか行けず。
   16日  三国山~熊倉山~浅間峠~日原峠~人里
   19日  鶴峠~三頭山~大沢山~都民の森
   23日  赤城・コフタ山 ~深山から周回
   27日  四万・日向見温泉から不納山往復
   29日  鹿沢温泉から角間山往復

05月01日  谷川岳・西黒尾根中間部まで~一の沢下降
    03日  深山から赤城・鈴ヶ岳一周
    10日  矢立石~日向山~錦滝
    14日  美濃戸~北沢~赤岳鉱泉~中山乗越~行者小屋(泊)
    15日  地蔵尾根~赤岳~文三郎道~行者小屋~南沢~美濃戸 
    19日  棡葉窪~沢上り
    21日  田野景徳院~曲沢峠~大谷ヶ丸~米背負峠~大蔵沢 
    26日  霧降高原~子丸山~赤薙山~丸山~八平ヶ原~霧降高原
    28日  中越・下権現堂山

06月01日   歌ヶ浜~阿世潟峠~奥日光社山往復
   02日   歌ヶ浜~半月峠奥~半月山往復
   09日   北八ツ・三ッ岳~北横岳ヒュッテ (宿泊)
      10日   北横岳~大岳~双子池~雨池峠
   13日   焼山峠~小楢山往復
   19日   菅平牧場~四阿山~根子岳~菅平牧場
   23日   赤城・五輪尾根~出張山~薬師岳~大沼
   26日   加仁湯~鬼怒沼往復
   27日   高峰温泉~水ノ塔矢山~篭の登山~池の平~高峰温泉
   29日   深山~関東ふれあいの道~出張峠往復

ということで半年で日数が 51日。
後半このペースで行ければ100日に到達するのですが・・・

ところで、年間で3桁、というとたいしたものだと思われるかもしれませんが、広い山の世界。そんなの児戯にひとしく、掃いて捨てるほどあります。

最近目にしたのは『山の本』で群馬のN・Gさんは年間の山行回数が400回ほどになることを知りました。
仮に毎日登ったとしても365日。
社会生活していればしがない浮世のお付き合いなどで山に登れない日もあるでしょう。
そうすると一日で2回登る、という日もかなりあるはずです。
午前中一山登り、お昼を自宅でして、午後また山にお出かけになるのでしょうね。
こうなると趣味、というより「業」とも思えます。

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奥鬼怒の秘湯と湿原と

2009年6月28日

鬼怒川の上流域にはご存知「鬼怒川温泉」に始まり「川治温泉」から「川俣温泉」へと遡ります。
さらにその奥の「女夫渕温泉」から特に紅葉と露天風呂が名高い奥鬼怒温泉郷となり、渓谷深く分け入り「八丁の湯」「加仁湯」「日光沢温泉」「手白沢温泉」が点在しています。

最億の「日光沢温泉」から標高差700mを2時間半ほどかけて上ると、標高が「尾瀬」より600mほど高い、日本で一番高地にある高層湿原「鬼怒沼」に至ります。
因みに「高層湿原」とは標高が高いところにある湿原、という意味ではなく、湿原の泥炭層の厚みで区分するのです。
従って標高の高いところにあっても、泥炭層が薄ければ「低層湿原」となります。

「遥かな尾瀬」は江間章子さんの詩で定番のフレーズになっていますが、いまや尾瀬は隣りん家くらい身近な存在。
ところが「鬼怒沼湿原」は依然として私にはけっこう「遥かな」存在でした。
あるとき良くよく地図を按配して見たら、山荘からは決して遠くないことに今ごろ気付きました・・・

・・・という次第で梅雨の止み間、奥鬼怒の秘湯(今はそうでもないかな・・・)「加仁湯」に泊まり、翌朝「鬼怒沼」に上りにでかけました。

山荘から金精峠~光徳牧場~山王峠~川俣温泉と走り女夫渕温泉まで88km。
ここで送迎バスに乗り換え、ガタガタの林道を走り今宵のお宿へ。

P6251338 加仁湯には4つの露天風呂があります。
これは女性専用です。
誰も居なかったので撮影できたということで・・・

翌朝、これぞ五月晴れという快晴と、爽やかな風に恵まれ、標高差500mという最初のハードルを超え、標高2千メートルの高地湿原「鬼怒沼」に到着しました。

尾瀬ヶ原をウンと小振りにしたような愛らしい、天に開いた湿原です。P6261347

湿原に散在する池塘の向こうに「日光白根山」が頭をもたげています。

P6261352 こちらは湿原の南隣の山大嵐山(左)と根名草山(右)

湿原の北端からは尾瀬の「燧ケ岳」越後の「中の岳」そして「会津駒」などが遠望できます。

咲いていた花はタテヤマリンドウ、ヒメシャクナゲ、チョウノスケソウ、イワカガミ、ツガザクラ、ショウジョウバカマ、ワタスゲ

下山し、青空の下の露天風呂を独り占めし、大きく呼吸し、疲れた体を横たえる・・・これを極楽と言わずして何という・・・。

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足が100球肩になっちゃった!

2009年6月22

いつのころからかプロ野球の投手リレーは「先発」ー「中継ぎ」ー「クローザー」と分業化が確立されています。

先発投手は、特にアメリカでは100球ほど投げると交代になるようですね。

タイトルに書いた「100球肩」というのはそれと違い、およそ100球ほど投げると、人が変わったように球威が落ちて、ポカスカ打たれるようになる投手を揶揄した言い方です。
要するにスタミナが不足しているせいですね。

有名な例がドラフト制度の盲点を突いた「空白の一日」の奇策を弄して「巨人軍」に入団し、引退時に「100球肩」と野次られていた某投手です。

さて前置きが長くなりましたが、今の私の脚力がそんな状態になっているのですね。
原因は明らか・・・軟弱な山歩きが多くなっているため筋肉がヤワになっていて、少々ハードな山歩きになると途端にヘバリがきてしまう昨今です。

19日、梅雨の晴れ間(本来の「五月晴れ」ですね)に菅平の「四阿山」から「根子岳」を周回して歩いたのですが、累積標高差千メートル程度の歩きなのに.。
特に、「四阿山」から一旦、牧歌的な笹原の大きな凹地「十ヶ原」へ下り、それからの「根子岳」への登り返しの辛かったこと。
この標高差180mほどの上りでは亀にも劣る足取りになってしまいました。

 P6191329                         

 三角点峰から見た「四阿山」の最高点2355m                                 

                                 

                                        

P6191328  最高点より25mも低い「三角点峰」

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 最高点峰と三角点峰の間で咲いていた「ミネザクラ」

 P6191334                     

  珍しくもありませんが「レンゲツツジ」が真っ盛り。

荷物の軽量化に努めているため、担荷力が衰えているうえ、脚力までが下り坂に向かっているとしたら・・・もう大きな山歩きはダメなのかな-。                           

                                                                 

                                                      

                               

                          

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1円で本が買える!この不思議!

2009年6月18

いわゆる「古本」の世界も随分様相が変化していて、本好きには選択の幅が広がり、それなりにありがたいことだと思います。

独特の匂いがある「古本屋」での本探しが王道であることは間違いないでしょうが、お目当ての本探しには空振りになる可能性が高く(反面、思いがけない掘り出し物にめぐり合うチャンスもあるのですが)つい腰が重くなってしまいます。

アッという間に全国に蔓延している(らしい)「BOOK OFF」はドライなビジネスモデルで、古本屋のティストはありませんが、「100円コーナー」はときどきチェックする必要があります。

なんと言ってもラクチンなのはオンライン古書店です。

無駄足を踏むことなくターゲットに簡単に到達できる便利さは、一度使うと止められません。

手にとって品定めする楽しみは無いし、品物の程度が確認出来ないリスクはありますが、私には今、探書の本線になっています。

特にアマゾンではどうかすると「1円」という、何でか・・・?とビックリするような値付けの古書に出くわすことがあります。
何冊かをこの値段で入手しています。

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ただ、安いのは文句ないけど、妙に落ち着けないのです。
この「1円」ってどういう意味なんだろう・・・?
物でも、価値でも、サービスでも一応、適正と判断される対価があります。

この「1円」本の場合、物としてゴミ視すれば1円でも高いし、しかし価値から言えば著者をして貶めかねない値付けです。

また送料が本の360倍になるのが、流通コストとしては当然としても、何となく釈然としないものが残ってしまいます。

「1円」の売値では、利益が出るはずはありません。

どのようなポリシー、戦略があって このようなビジネスを展開しているのでしょうか?

ビジネスの世界にはたいてい裏があります。
ここにも”ヘー!”と驚くような仕掛けがあるのでしょうかね?

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竹内ヒサ~「剱岳」に最初に登った女性

2009年6月15日

新田次郎の原作を映画化した「剱岳・点の記」の公開がいよいよ近づいてきました。

山好きならずとも楽しめる出来栄えになっているようで、ワクワクしています。

~蛇足ですが、「剱岳」の表記はマチマチでしたが、03年、国土地理院は「剱」に統一しました。
また、その標高にも変遷がありましたが、04年「最高点の高さ2999m」で確定しました。あと1メートル。何とかならないものでしょうか?

あらすじは、当時未登頂とされていた「剱岳」に、はからずも「日本山岳会」との初陣争いの様相を呈した「陸地測量部」がその面目にかけて、三角点設置のため挑戦するものです。

経過は
1、明治40年(1907)7月13日、測夫<生田 信>らによって登頂成功。
歴史に残る初登頂になるはずだったのが、なんたることか、既に登頂者がいたことを示す緑色に変色している銅の「錫杖」と、錆びた「槍の穂」を発見。

Img066 奈良時代後期から、平安朝初期に作られたものと推定されている。

当初柴崎家に保存されていたが、現在は「立山博物館」の所蔵品。

2、同24日、この物語の主人公、測量官<柴崎芳太郎>一行が三角点設置のため登頂。しかし、余りに険しいため資材を運び上げることが出来ず、一本の木柱を立て「四等三角点とした。

「日本山岳会」の会員の登頂はそれから2年遅れた、1909年7月24日<吉田孫四郎><河合良成>ら4人が、宇治長次郎たちの案内で登った。

閑話休題

さてここからが本題で、これは1920年(大正9年)7月30日、日本人女性として最初に「剱岳」登頂に成功した<竹内ヒサ(22歳)>(1898~1934 )の物語です。

しかも、この時の行程が凄いのです。
大正9年(1920)7月22日長野県・大町から出発し、針の木峠を越え、24日黒部谷横断。

ザラ峠、立山・一の越、立山と繋ぎ29日「長次郎谷」で野営。

そして30日に長次郎雪渓を詰めて女性として初めて剱山頂に立ったのです。

その後、小窓を通過し、馬場島へ下り、8月1日「上市」駅についてこの長い登山を終えています。

今日でこそ<田部井淳子さん><今井通子さん><渡邊玉枝さん>などあまたの女性登山家が輩出していて、「剱岳」だけなど昨日今日の山登り初心者でも登ってしまいますが、ヒサのこの壮挙の時代では、それが持つ意味は全く異なります。

ヒサの夫<鳳次郎>が彼女を伴い「剣岳」に登った記録は1921年の「山岳」第15年に「女子剱岳登山記」として発表されましたが、文中「妻」としか記していなかったため、後年の登山史研究家が間違え、長いこと<竹内いさ>とされていました。

このことに<ヒサ>の甥の<岡田 汪>さんが気づき、せめて名前の誤りだけでも正したいと思う一念で、苦労して古い資料を探し出し、丹念に整理して一冊の本したのがこの『夫婦登山ことはじめ』です。

_edited1 この本は2004年、私家版として刊行されていますが、私が知ったのは最  近のことで、もはや入手することは出来ないだろうと、諦め半分で照会したところ、幸運にも手にすることができました。

営業出版されたものと異なり、刊行を知る機会が無いのでとても貴重なものです。

これなくしては登山史上に顕在化することのなかった数々の情報がギッシリつまっています。

女性登山の黎明期、ヒサがどんな気持ちで、どんな服装で、どんな装備で、どのように困難な登山をしたのか、興味は尽きません。

同じ<新田次郎>の作品に『芙蓉の人』と言うのがあります。
明治28年、私設の「富士山測候所」を建てた夫を支え、厳冬期の富士山頂で、生命の危機を克服しながら、72日滞在した<野中千代子>の例といいい、明治の女性の「凛」とし立ち姿に、ただただひれ伏す思いがします。

この時代、妻はひたすら耐え、黙って夫に従い、支える、と言う内助の功に徹するのが美徳とされてたとはいえ、千代子やヒサの凛とした姿は人々に感動を与えずにはいません。

その、主客の立場が逆転したのはいつごろからなんでしょうか?

世の夫君がたが再びかつての栄光を取り戻せる日がはたしてやってくるのでしょうか?  

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辻井さんの快挙にスタンディングオベーションを!

2009年6月11日

関東地方も昨日、梅雨入りしたと見られる、と発表されましたが、そんな鬱陶しい気分をを吹き飛ばしてくれるような嬉しいニュスがありました。

第13回「ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール」で全盲の<辻井伸行>さんが優勝したことです。
歴史の浅いコンクールとはいえ快挙です。

もちろんこの優勝は全盲という要素は全く関係ありません。

間違いなく、卓越したテクニックと、豊かな音楽性が正当に評価されたものでしょう。

ですが、私にはやはりこれは奇跡的なことにしか思えないのです。

いったい楽譜が読めなくてどうしてピアノが弾けるようになったのか・・・?
しかも、「猫踏んじゃった」の類ではなく、難曲中の難曲、ショパンやラフマニノフの「ピアノ協奏曲」などを・・・。

たまたま登山の帰りのカーラジオで辻井さんのピアノの先生の話を聞くことができました。
それによると楽譜に書かれていることを言葉にして(例えばどの音からクレッシェンドは始まのか、というようなこと・・・を)テープに吹き込み、それを聞きながらレッスンするのだそうですが、そう説明されてもまだ理解できません。

旋律など主要なところはCDを聴けば記憶出来るでしょうが、複雑な和音などをどう聞き分けられるのでしょうか?

もっと難しそうなのが、ピアノの独奏曲ならともかく、ピアノ協奏曲などは指揮者の動きをどのようにキャッチするのだろうか(この点については並外れた感性のたまものと説明されていましたが・・・)なども。

75歳にして二度目のエベレスト登頂を果たした三浦雄一郎さんは「夢はかなえられるもの」と言います。
確かに先ずは夢にすることが最初の一歩であることは間違いありません。

しかし、夢を見れば何でも叶う、というものでもありません。
いや、むしろかなえられた夢の数より、叶えられなかった夢の残滓の方が遥かに多いものでしよう。

この実現するものと、実現しないものとの違いはどこにあるのでしょうか?

その間には「努力する」ということだけでは埋めることができない、とてつもなく大きい空間があるんですね。
そこにあるのはやはり「天賦の才」
私ごときには神から授けていただけなかったもの・・・。

せめて、全能の神から祝福を受け、その上に死ぬほどの努力を重ねて、夢を実現した人が見せてくれる人間の底知れぬ能力に感動し、感謝することにしましょう。

どうやら、魂のピアニストと呼ばれる<フジ子・ヘミングウェイ>さんを超える、魂そのもののピアニストが誕生しそうです。

是非その演奏を生で聞いてみたいのものです。

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越後の山も良いな!

2009年6月2

山にも県民性のようなものがあって、高い低いに関係なく、それぞれの地域の持ち味があります。
・・・と言うようなステレオタイプな物言いは避けなければいけないのですが・・・
また、深田久弥は”一番いい山は、一番最近に登った山だ”という意味のことを言っています。

そんな視点から今日は一番最近(5月28日)歩いた中越地方の「権現堂山」予想をこえて良かったので取り上げてみます。

越後の山も良いな!などと言えるほど新潟県の山を歩いているわけでもない私風情が、こんなタイトルをつけるのは、越後の錚々たる岳人の皆さまに申し訳ないのは重々承知の上で・・・。

越後の山の良さで私が真っ先に挙げたいのが、東京近郊の山で標高千m近くまで普通にある、あの暗くて人工的な、単調にして、何の風情も無い杉や檜の植林帯が少ないことです。

次いで、多分豪雪がもたらすプラスの所産としての豊かな植生ですね。
何よりどの山でもブナが見事ですが、雪解けのころいたるところで足の踏み場も無いほどに、無造作に咲き乱れるカタクリ、そして吉永小百合さんと妍を競うヒメサユリなどなど・・・

さて今日の山「下権現堂山」は標高897mという低山なので、残雪はスッカリ消えていましたが、標高300m辺りからヤマツツジが今を盛りと咲いていました。
こんな具合に山道を彩っています。

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つい先日歩いた日光の「赤薙山」では標高千m以上にならないと見られなかったのに・・・

さて、山頂直下に「弥三郎清水」という水場があることになっています。
とにかく美味しい水だそうで、それも今日のお楽しみです。
ところがいざ到着してみたら、確かに水場はあるのですが、岩の裂け目からは少しも水が沸いていないのです。
当てにして水は一滴も持ってきていません。

無いものはしかたない・・・と頂上へ。
薄いもやのかかった空の下に私が未だ登れていない「中の岳」やら「毛猛岳」やら「粟ヶ岳」などが誘惑の手を差し伸べていした。

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山頂には先着のグループがいて、賑やかに何やら作業らしきことをやっていました。
そうこうするうちに仲間らしい数人が「背負子」にペットボトルを何本もくくりつけて登ってきました。
ところがペットボトルの中身ときたら泥水です。
ン・・・あれを飲むのか?

訳を尋ねると”山頂に設けていた釣鐘の支柱が中越地震で倒壊し、復旧作業をしにきた。支柱の土台を固めるコンクリートを練る水として「弥三郎清水」を当てにしてきたのだが、涸れていたので、仕方なく沢水を汲んできたのだ・・・”と。
もう長いこと登っているが、清水が涸れたというこは全く無くて、今年は降雪が少なかったことが原因だろう・・・とも。

この清水について語られている伝説があるそうです。
権現堂山の岩穴に住み着き、吹雪に乗っては天空を駆けめぐり、幼児をさらっては食べた、という魚沼地方の伝説の鬼女「弥三郎婆」に由来して「弥三郎清水」と呼ばれるようになった、と・・・。

それにしても「安達ヶ原の鬼女」といい「戸隠山の鬼女・紅葉」といい、どうして怖い鬼は女なんでしょうか?
愚見ですが若しかしたら実際にあった「姥捨て山」への贖罪意識がもたらしたアンチテーゼとして、こうしたオドロオドロしい伝説が生まれたのではないでしょうか。

・・・ということを書いたら、たまたま読んでいる細田弘さんの『夢想の峯々』に同じ考察をされた文章に出合いビックリしました。

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沢登りはもうムリだった

2009年5月28日

もう一度沢登りをやってみようかな・・・
いつしかそんな望みが芽生えていて、最小限後の装備は整えていました。

こんな按配です。

Photo

                   

                                  

昔の沢登りの足元といえば「わらじ」が定番。
しかし、今は入手が難しいようです。
沢での履き物がすっかり進化し、わらじなど淘汰されてしまったのでしょうね。

さて、この地下足袋にフェルトを張ったしろもの。
初めて履いてみての感想は「わらじのほうが遥かに沢登りに向いている」ということでした。
入渓し、最初の渡渉で、わらじなら安心して歩けるツルツルの石で滑ってしまったのです。

さて、山歩き事始のころは、誰でもがするように私も一通りの沢登りをしました。

表丹沢の易しい沢から始め、道具を使わないフリーで登れる沢を少々こなしました。

なので頭の中では、今でも入門用の沢ならそこそこ登れるだろうと、たかをくくっているところがありました。

今日選んだ「棡葉窪」(多摩川の支流の秋川のそのまた支流の盆堀川の支流)は文字通り入門者向けで、私も昔やっていた山の会で新入会員の最初の沢登りはここを取り上げていたくらいです。

おぼろげな記憶では、厄介な棚(滝)は皆無だったと思います。
それでも初めて沢登りする者には、それなりの手強さがあるのか、何人かは「釜(滝壺)」の落ちたりして、それを笑ったりはしましたが・・・  

沢登りを再開するならここらあたりからかな・・・
そんな気持ちで気軽に入渓したところが、そうは問屋がおろしてくれませんでした。 

小さな滝はともかく5mほどもあるともういけません。
昔、簡単にパスしたルートが登れないのです。
落下したら釜でずぶ濡れは免れないし、それでは文字通り「年寄りの冷や水」になってしまいます。

そんなことで腰が引け、弱気になって、おおかた高巻の繰り返し。
とうとうしまいには沢床への下降にロープを使う有様。
これでは沢登りの醍醐味は味わえません。

もともと器械体操など苦手で、バランスが良いとは言えない運動神経しか持ち合わせていない身が、50年も年を重ねて、体重はふえるは、手足の機能は退化するはで、昔のようにいくわけがありません。

ホントに分かっているなら、そもそも単独での沢登りなどやるべきではないのでしょう。

♪長崎は 今日も 雨だった・・・
変じて ♪沢登りは もう ムリだった・・・

                        

                                             

                                                        

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