群馬岳連の輝かしい足跡

2008年7月16日

新聞紙面の扱いは地味でしたが、9日付朝刊で<竹内洋岳(ひろたか)>さんが「ヒマラヤ8千メートル峰10座目の登頂に成功した」ことを報じていました。

昨年雪崩に遭遇し、奇跡的に救出された因縁の、「ガッシャブルムⅡ峰」8035m(パキスタン)に再挑戦し、7月8日、首尾よくリベンジを果たしたものです。

8千メートルを超えるジャイアントは14座ありますが、全ての登頂成功者は世界で14人。

日本人では9座止まりで竹内さんを除いて次の二人がいましたが、それぞれ既に遭難死しているため、完登の可能性は絶たれていました。

山田 昇 1989年2月10座目を目指すトレーニング登山のマッキンリーで遭難 39歳。

名塚秀二 2004年10月10座目のアンナプルナⅠ峰で雪崩遭難 49歳。

二人とも、ヒマラヤ登山で、継続して輝かしい足跡を残し、地方山岳会で最強とされた「群馬岳連」の主力メンバーでした。

群馬岳連の主な足跡を辿ると
1972年 のダウラギリⅣ峰 7661mへの挑戦を皮切りにして、1993年エベレスト南西壁の冬季初登頂を頂点として、目を見張る活動を展開しています。

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その過程で一貫して、オルガナイザーとして、また牽引役の機関車として縦横に活躍したのが「八木原 圀明」さん

昨夜(7月14日)日本山岳会のルームで、その八木原さんから,ヒマラヤ挑戦の歴史を聴くことができました。 

かつてのヒマラヤの猛者も62歳の今はメタボな体型に変わっていますが、語り口は滑らかで、面白く聞き手を飽かすことがありません。

6月に、谷川岳ロープウェイ駅北側に開設された「谷川岳山岳資料館」の館長にも就任されたそうで、その行動力は健在なようです。                                                                           

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どこに消えた?岩崎・百名山

2008年7月9日

梅雨時の閑話を一つ。

一時(2005年)、朝日新聞の後押しを受けて、華々しく花火を打ち上げた岩崎元郎さんの「ぼくの新日本百名山」は今どうなっているのでしょう。

発表当時は山岳誌でもそれなりの取り上げ方をしていましたが、このごろはさっぱり消息を聞きません。

私の周辺でこれが話題になることは全くありません。

無視とか黙殺というのではなく、そもそも関心が無いようです。

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「山の本」51号(05・春)でも本人登場のうえ、多くの論評がありますが、大方は否定か無視。

結果はそこで指摘されているように推移していますね。

特別な見識を持っているようには思えない普通の登山家だった岩崎さんが、たまたまNHKの山歩き番組に登場し、マスコミへの露出度が高くなったことを利用した朝日新聞の無見識な企画と、それに乗った氏のピエロ振りが露呈してしまった結果ではないでしょうか。

深田久弥は、最初に「日本百名山」選定を構想してから、何回かの試行錯誤の末、およそ20年の歳月を経て完成させています。
選定に当たっては「名山」とする三つの基準を設け、スタンス、ポリシーを明確にしています。

「新日本百名山」と「新・百名山」の選定を宣言したからには、相当な覚悟と準備をしなければ久弥を超える選定は出来ないでしょう。

ところが、ご本人も”私が還暦記念に、岩崎個人として登りたい山を選んだ”と語っている(「山の本」 №51)程度の、思いつきで選んだものですから、結果は惨憺たるものになってしまいました。

単なる思い付きと、商業主義とのコラボのせいで、選定のスタンスが定まらず、当然の結果としてゴチャ混ぜの100山になってしまいました。

これならローカルに徹した地方版「100名山」のほうがまだましというものです。

きちんとした「名山」の定義をもって臨めば、大方は深田・百名山と重複するでしょう。

現に「文芸春秋」2000年7月号で近藤信行、山口耀久氏と三人でした「新・日本百名山」という企画座談会では、10座を入れ替えるにとどまっています。

しかし、それでは改めて「新百名山」を選定する必然性が無い、という批判を浴びることは明白ですから、オリジナリティを出そうとして、1県1山などと、行き当たりばったりの要素を入れ、無理やり別の48座を選んでしまいました。

その結果、方向性がグチャグチャになり、とても「名山」とは呼べないような山がリストアップされてしまいました。

また、登ってもいない山を選んでいることなども深田久弥の姿勢に比べ、余りにも無責任というそしりを免れないのではないでしょうか。

登ってもいないのに、どうして「名山」として評価出来るのでしょうか。

これではインセンティブになり得なくて、登山者から無視されるのも止むを得ないでしょう。

せめて「岩崎百山」とでもして、「名山」を冠しなければ、まだこのような無残な結果にはならなかったのででしょう。 

「僕は深田さんのように権威を求めない」ともコメントしているようですが、深田久弥は全く「日本百名山」に権威など求めてはいません。

むしろ、岩崎さんの方が無意識のうちに新しい「権威」を求めていたような気がします。

文庫版の序文で、深田久弥の長男「森太郎氏」から”岩崎さんはマーケティングの面から選ばれた”と評されたことを嬉しそうに書いていますが、私には、これはそうとう辛辣なコメントに思え、もしそこに気づいていないのなら、マーケティングの何たるかも知らない失敗でしょう。

なぜなら、百名山との重複52座、深田クラブ200名山との重複16座と、ほぼ7割が既存の選定と重なっています。

すなわち、既に出されていいる商品の、パッケージだけを代えて、”これは新商品です”と売り出したのに等しいことです。
 ~何となく、かの囁き女将の「船場○○」を思い出してしまいます。

これでは商品としての新鮮味、魅力が出るはずはありません。
売れるわけがありません。

これを他山の石として、もう2度と再びこんな愚かしい試みがなされないよう念ずるばかりです。
「日本百名山」は一つあれば十分です。

 

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蛙にされたガソリンユーザー

2008年7月4日

レギュラーガソリンの価格が180円/L前後になり、この調子では”ウソでしょう!”と思っていた 200円/Lが現実になってきました。

これはほとんど悪夢です。

正確には記憶していませんが、2年ほど前には90円/L前後だったと思いますが、初めは何円単位でジリジリ上がり、それが今では臆面も無く、毎月初めに10円ほど上がるのが当たり前になってしまいました。

途中までは結構ナーバスになっていたユーザーも、今は成す術もなく、ただ呆然と値上がりを眺めているだけのように見えます。

この現象は私にこんな実験を想起させます。

蛙を水の中に入れ、少しずつ加熱していくと、蛙には水温上昇が体感出来なくて、やがて沸騰した湯の中で、哀れな蛙君は「石川五右衛門」になってしまうのだそうです。

今ガソリンユーザーがおかれている状況はまさにこの蛙と同じではないですか?

90円のガソリンがいっぺんに180円になったらいかなるユーザーもカンカンに怒り、それこそ韓国や、モンゴルのような暴動が起こるでしょう。

それがジワジワくるものですから、痛みがいつしか麻痺してしまい、気がつけばとんでもないガケップチに立たされているのです。

車が無くてもどうにかなる大きな都市の生活者ならさほどのダメージは無いかもしれませんが、公共交通機関が無いに等しい地方では、車はいわばライフラインでしょう。

いくらガソリンが高くなっても車を使わなくては生活出来ない、そうした境遇の方々には想像以上に深刻な事態です。

化石燃料の異常な高騰の影響はガソリンに止まりません。

漁業にも、畜産にも、野菜作りにも深刻な影響を及ぼし、家計を圧迫するだけでなく、食料不足を招きかねません。

なのに、政治がまた全く無策です。

ただボーッと事態の推移を眺めているだけに思えます。

4月にせっかく一度廃止された石油の「暫定税率」が、5月に「3分の2」の暴力でまた元に戻ってしまいましたね。

郵政選挙で3分の2以上の議席を与党に与えてしまった国民が、こんなはずではなかった、と今ごろ悔やんでみても後の祭り。

私には「道路族」と「国土交通省の高級官僚」の高笑いが聞こえてくる気がするのですがあなたにはどうですか?

 人間を蛙にするな!」 怒れ! ガソリンユーザー! そして消費者!

あーァ 頭に血が昇ってしまった・・・

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上半期の山行記録

2008 年7月1日

今年の前半は,山歩きを妨げる要因が皆無だったので、日数だけは順調に重なりました。

このペースなら昨年に続き、逆エージシュートが達成出来るのですが・・・。

ただし、質より量、は歴然。

ではそのラインナップを。

01月04日  滝子山・1620m ~浜立尾根から
01月15日  群馬・吾嬬(かずま)山・1181.5m 
01月20日  天子山塊・竜ヶ岳・1485 m
01月28日  赤城・荒山 1571・9m

02月02日  湯の丸山 2103m  ~スノーシュー
02月03日  村上山 1746.2m ~スノーシュー
02月11日  赤城・大峰山  ~ラッセル訓練
02月14日  赤城・大峰山  ~ラッセル訓練
02月17日  倉岳山 990m
02月23日  笹子・お坊山 1421m~南尾根から

03月02日  秩父・御岳山 1080・5m
03月12日  奥多摩・戸倉三山  ~奥多摩のロングコース
03月17日  守屋山 1650m
03月22日  今倉山 1430mから二十六夜山1297m
03月25日  仏岩から吾妻耶山 1341m
03月29日  岩櫃山 803m

04月02日  赤城・大峰山  ~ラッセル訓練
04月04日  山梨・矢平山 860m
04月12日  角間山 ~積雪で途中撤退
04月15日  谷川岳 ~天神平から往復
04月20日  滝子山 ~浜立尾根から
04月22日  丹沢・大山 ~大山川の遡行ならず
04月25日  赤城・大峰山 ~三角点発見
04月27 日   赤城・大峰山 ~三角点清掃
04月29 日  日光・鳴虫山 1103m  ~アカヤシオ

05月01日  田沢山(仮称) 1215・6m  ~アカヤシオ
05月02日  桐生・鳴神山980m  ~カッコソウ
05月06日  横尾山 1818m ~信州峠から往復
05月07日  奥秩父・五郎山 2032m ~岩の秘峰
05月12日  赤城・長七郎山 ~濃霧に包まれて
05月15日  赤城・長七郎山
05月16日  南会津・七ガ岳 1635.8m  ~初めての南会津
05月23日  雨乞岳 2036・8m ~
05月28日  奥日光・高山 1667.5m 

06月01日  南会津・大嵐(おおあれ)山 1635m
06月02日  荒海山 1580m ~ハードだった
06月06日  赤城・黒桧山
06月10日  白谷ヶ丸と大蔵高丸 ~幻の花苑探しは不発
06月13日  瑞牆山 2230.2m ~50年ぶりの再訪
06月16日  八ヶ岳・本沢温泉まで ~日本一の高所野天風呂
06月17日  硫黄岳 2742.1m  ~51年ぶりの山頂
06月25日  温泉ヶ岳 2332.9m ~掘り出しものの山だった
06月28日  浅間・天狗温泉から賽の河原まで

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わが人生の応援歌~「旅の夜風」

2008年6月24日

完璧な梅雨で、一歩も動けない。
・・・クソーッ・・・品が無くてゴメンナサイ。

所在無く、ツンドク本の中から何気なく「愛染かつらとニッポン人」を抜き出し、読みました。

Photo_3

戦前の最大のヒット映画「愛染かつら」

昭和13年の封切です。

どれだけの大ヒットだったのか、記録が戦争で消失したため正確には分からないのですが、戦後の超大ヒット「君の名は」を超えているだろうと推定されているようです。

 その主題歌が霧島 昇と松原 操のデュエットが歌う「旅の夜風」                                                     

Photo_4 昭和一桁以前の世代なら誰でも歌えるはずです。

もっと後世代ならお祖父さん、あるいはお父さんが歌っているのをキット聞いているかと思います。

所得倍増政策を掲げた池田首相の愛唱歌だったことは有名な話。

私が最初に覚えた流行(はやり)歌がこの「旅の夜風」を始めとする一連の「愛染かつら」挿入歌でした。

多分、昭和16~17年(国民学校3~4年生)頃だったと思います。

お酒などを扱う「越後屋商店」を営んでいた叔母の家には、ハイカラなことに「電気蓄音機」がデンと居座っていました。

その電蓄でその家の正真正銘の悪ガキ三人に囲まれ、繰り返し、繰り返し、「愛染かつら」の挿入歌に聞き惚れたものです。

他に「悲しき子守唄」「朝月夕月」「愛染草紙」「愛染夜曲」などなど・・・

大人の歌ですから大方の歌詞の意味は理解出来なかったのですが、世に「万城目メロディー」と称された感傷的な旋律に酔っていたのでしょうね。

それからの60年ほどの人生で、折ふし、自分を鼓舞する時に「旅の夜風」を歌っています。
ただし、人さまの前では歌えません。

味噌を腐らせて(古過ぎる表現ですが)ご迷惑をかけるわけにはまいらないからです。

♪花も嵐も踏み越えて  行くが男の生きる道
     泣いてくれるなほろほろ鳥よ  月の比叡を一人行く♪

ひ弱な己を奮い立たせてくれる音楽は他にもあります。

たとえば、ヴェルディの歌劇「アイーダ」の「大行進曲」 (サッカーでお馴染み
あるいは同じヴェルディの「ナブッコ」の「行けわが思いよ 金色の翼に乗って」

甲子園の「あゝ栄冠は君に輝く」とか、ザードの「負けないで」なんてのも・・・。

でも唇にするのは・・・やはり・・・「旅の夜風」だな・・・

それでは今日もまた、花も嵐も踏み越えて、男の道を行くか・・・雄雄しく、ではなく、ヨロヨロと。

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雲の上の野天風呂・本沢温泉

2008年6月18日

八ヶ岳・硫黄岳の爆裂火口壁の下にある「本沢温泉」のことは、山好き、温泉マニアには良く知られています。

通年営業する温泉としては日本で一番高い場所にあることを看板にしています。

宿から歩いて5分ほど登った、赤茶けた「牛首川」の畔、標高2150mの高さにその「野天風呂」はあります。

脱衣場などありません。

畳三枚分位の屋根の無い湯船に浸かるという野趣にあふれたものです。

入りましたよ。

湯温がやや低いので、ゆっくり入るのにはうってつけです。

梅雨時には珍しい青空の下、硫黄岳の凄まじい爆裂火口を見上げながらの入浴は、これこそ天国、と錯覚しそうです。

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モデルは私ではありません。

残念というべきか、良かったとすべきか・・・

・・・よくぞ男に生まれけり、か!

入浴だけの場合は600円の入浴料。
しかし、どうやって料金を徴収するのか・・・わかりません。まア「性善説」に立った「自己申告制」なんでしょう。

女性の場合には「水着着用」だそうですが、登山をするのに、水着を持っていかなくてはならないなんて、破天荒ですね。

翌日(6月17日)がこれまた、この時期としては信じがたいほどの晴天になりました。

温泉疲れの体に鞭を振るって「硫黄岳」へ。

「夏沢峠」からの道は、初めは51年前。
あの時は、烈しい風雨の中、暗くなり始めた足元に焦りを感じながら、だだっ広い硫黄岳山頂で「硫黄岳石室」へのルートを必死で探したものでした。

3年前の正月登山では、烈しいブリザートのため、耐風姿勢を取っても、爆裂火口へ飛ばされる危険があり、途中撤退。

それがまア、今朝はうって変わって、天気晴朗、風は爽やか。

当たり前ですが、山は天気一つで全く別物になってしまうのですね。

この程度の登りでも、すっかり荒くなる息遣いに、長い歳月の流れを感じさせられてはしまいましたが・・・。

さすがに人気の高い「八ヶ岳」
平日というのに「硫黄岳」の頂上は行きかう人で賑やか。

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いうまでもなく「赤岳」(右)と「横岳」

しかしこれだけの人がほとんど見向きしない硫黄岳の「三角点」(正しくは測定点)

へそ曲がりの私は、ルートを外れ、今にも崩壊しそうな亀裂が入った爆裂火口の縁に沿って行き、地表に僅か5cmほど頭を出していた標石を見つけることが出来ました。

 P6170873             

 ご褒美なのか「キバナシャクナゲ」の開花に出会えました。

ちなみに高所温泉ランクは   「山と渓谷」(07・10月号より)
   1、立山・地獄谷温泉  2300m  みくりが池温泉、雷鳥荘などが引湯
   2、本沢温泉       2150m  通年営業
   3、高天原温泉      2100m  黒部川源流
   4、白馬鑓温泉      2100m
   5、夏沢鉱泉       2060m  八ヶ岳

                            

                                    

                                   

                                       

                                      

                                        

                                              

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6億1400万円の地下鉄路線図

2008年6月12日

ダイナミックな鼓動が途切れることが無いような東京。

目下の話題の中心は「東京メトロ・副都心線」。

いよいよ16日開業で、渋谷~新宿~池袋の三大ターミナルが結ばれます。

現に山手線で繋がっているのだから、それほどのエポックではないように思えますが、そうでもないらしいのです。

特に埼玉県の南部からの買い物客が新宿へ流入することが予想されています。

そこで気合が入っているのが「高島屋」

ガリバー「伊勢丹」にはもちろん「京王」や「小田急」の後塵を拝しているのが現況。

後発だし、なによりアクセスがいまいちで、苦戦を強いられるのもやむを得ないのですが、まさに劣勢を挽回する千載一遇のチャンスがやってきました。

そこで登場したのが6億円以上のダイヤモンドを散りばめて作った「地下鉄路線図」というわけです。

  P6120846_2        2回の正面にディスプレーされています。                  

よく分かりませんが、駅などが輝きを放っています。                         

画面の左の方に白っぽく「副都心線」が縦に走っていますが、その中ほどの「新宿三丁目駅」のダイヤが一段と大きく輝いています。
                     抜かりなく「高島屋」の2店舗のロゴも。

でも、これが何かの役に立つのだろうか?
誰かが幸せになれるのか?                                          

何の脈絡もなくミャンマーや四川省の災害地のことが浮かびました。

その連想で、アフリカでの悲惨な飢餓も思われます。

これだけのお金を、副都心線開通のお祝いとして、苦しんでいる人のために使ったら、パブリシティ効果はどっちが高いのかな・・・?

そんなヒューマニストを気取ってみても、もし、これをあげる、と言われたら、断ることはは・・・出来ないだろうな、ヤッパ。

「追記」

初乗りインプレッション・・・・・

開業初日の今日(16日)「イシイスポーツ原宿店」に用事があって行ったついでに「副都心線」に乗ってみました。

どの駅も混んでいて、盛んに携帯カメラを新型電車に向けています。

乗って真っ先に感じたことは車内が”広いなー”ということです。

天井が高い、ということは事前のリリースなどで知っていましたが、それを感じさせないほど横幅もあるようです。(まさか電車までメタボ・・・ってことないよな)

メトロで一番古い「銀座線」など両側の吊革に立つと、その間にはほとんど隙間がありませんが、副都心線はその間を大手を振って通れるくらいの余裕があります。

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老いてなおの健脚に最敬礼!

2008年6月6日

二度目の「南会津」入りで「大嵐(おおあれ)山」1635mと「荒海山」1580mに登ってきました。

 P6020843                   

荒海山・・・ 6月2日

ここで書きたいのはそのレポではありません。

ある、老(失礼をお許しください)登山家のことです。

「大嵐山」は私もメンバーになっている「Fクラブ」という会の行事で行われました。

この会のM会長は何と80歳の長老です。

初めて同行し、噂通り、年齢を感じさせない健脚ぶりにただただ驚嘆しました。

若き日は、穂高・滝谷などで岩登りをしたアルピニストで、やがて山歩きに転じ、倦まず弛まず登山を続け、海外にも多くの足跡を残し、いまでも月に2~3回の山行を欠かさない・・・そんな方です。

後続して足取りを拝見しましたが、その確かなこと。
上りはもちろん、急な下降路でも足取りが乱れることがありません。
背筋がシャンと伸び、足の運びは確か。

みごとなものです。
ただひれ伏すのみです。

このごろ、”俺もいい歳だし、どんな風に山歩きを終えようか”などとフッと考えれることがあります。

F会長の驥尾に付しながら、まだそんな後ろ向きのことを考えるのは早過ぎる気がしました。

誰の言葉だったのか思い出せませんが「旅人は自分が持っている以上のことは持ち帰れない」・・・。

先日の三浦雄一郎さんの75歳での2度目の「エヴェレスト」登頂は快挙というしかありません。

そのた多くの超高齢登山者がおられます。

しかし、身近にお手本を拝見したこのたびの山行は、私に「自分が持っている」以上のものをもたらしてくれた、そんな思いです。

追記

書こうかどうか迷っていたのですが、やっぱりカイチマエ!

「大嵐山」の登山口は山間の素朴な「湯の花温泉」。

ここには4つの共同浴場があるのですが、下山して「湯の岐川」の畔にある「石湯」へ入りました。

巨石をくりぬいて設けたものらしく、野趣に溢れています。

ところが湯が熱くてとても入れません。

そこで、どうやらそのために用意してあるらしいバケツを使って、リレーで川水を放り込むことにしました。

真昼間、素っ裸のオジ(イ)サンたちがワッセワッセとバケツリレーする姿を想像してください。

・・・想像なんかしたくない?  ・・・ごもっとも。

みっよもないというか、コッケイと言うか、天真爛漫というか・・・。

ご本人たちは、昔の悪ガキ時代に戻ったような気分で、けっこう楽しんでいましたが・・・。

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先生にナッチャッタ・・・気分

2008年5月30日

一昨日「シロヤシオ」を見に奥日光「戦場ヶ原」と「中禅寺湖」に挟まれた「高山」(実は1668mと[低山」)を歩いてみました。

「竜頭の滝」からスタート。

開花には早すぎたのか、裏年なのかパラパラとしか咲いていませんでした。

それでも5月の光の中、若葉の白樺に囲まれ、素敵な気分で「小田代ヶ原」へ向かいました。

原の入り口で向こうから小学生らしい集団がやってきます。

”嫌だな。折角の気分が彼らの騒々しさでブチ壊されるだろうな” 内心そう思いながらも結局その集団に飲み込まれてしまいました。

暫く行くと先頭のグループが分岐点で立ち止まっていました。

”「竜頭の滝」はどっちですか?”とリーダーらしき少女。

確かにその分岐には「しゃくなげ橋」を示す表示はあるのですが、彼らが目標にしているらしい「竜頭の滝」は書かれていません。

”この「しゃくなげ橋」の方に行けば良いのだけど、おじさん(厚かましいことに「い」を抜いてしまった)も同じ方に行くから一緒に行こう”という成り行きに。

寡黙な少年2人、少女3人のグループと歩きながらポツン、ポツンという会話から幾つかのことが分かりました。

八王子の「松木(まつぎ)小学校」の児童たち。

朝「湯の湖」をスタートして、少人数のグループに分かれ、オリエンテーリングらしきことをやっているようです。

後ろのグループが遅れていても待たないのはそのためなんですね。

口数が少ないのはいい加減疲れているのせいでしょう。

私はさっきの迷惑だな、などと感じたことをすっかり忘れ、いつしか小学校の先生の気分になりきっていました。

先生か・・・遠い日のかすかな記憶。

何になりたい、という明確な自覚を持たない一生でしたが、それでも唯一「先生になるだろうな」ということが少年時代、一番自然な自覚でした。

それが成り行きで民間会社に入り、「利益を上げることが最高の善」という、聖職とはおよそ無縁な環境に、時には居心地の悪さを感じながらも、46年もの間、首まで浸かって過ごしました。

フッと、針の先で突いたような理由の分からない疼きが湧いて・・・。

それだけに、集合場所で別れるまでの30分ほどの短い時間が、忘れがたいひと時になりました。

滝に戻り流れに目を落としたとき、胸の奥に未だ残っている疼き。

P5280832  そのせいか「トウゴクミツバツツジ」が一段と鮮やかに映りました

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甲斐駒大展望・雨乞山

2008年5月27

甲斐駒の北面には大岩山2319m、鞍掛山2037mなど、よそにあればそれなりに注目されるであろう山があるのですが、何しろ直ぐ後ろにスーパースター「甲斐駒」が控えているので、たまったものではありません。

誰もが甲斐駒に目を奪われてしまうので、その手前のズングリ、ムックリ山の存在にはなかなか気づいてもらえないのです。

「雨乞山」2037mもそんな山の一つです。

私も、名前は知っていましたが、登る山としてはリストアップしていませんでした。

たまたま「新ハイ」6月号をパラパラ捲っていたら目に止まったのです。

右足の打撲も早く回復したので、思い立ったように、23日に歩いてきました。

ルートは比較的新しく、よく整備された「白州ビレッジ・キャンプ場」から。

結果は、とんでもない掘り出し物でした。P5230828_edited1

                             

 山頂・三等三角点    P5230829_edited1                              

 あいにく、大気が不透明で「甲斐駒」もボンヤリ・・・                      

全体に急斜面が無くて、上り下りとも、とても歩き易い山です。

頂上圏では「甲斐駒」が目の前で、今年はまた雪が多くて、一ヶ月前くらいの状態が楽しめました。

4月下旬、山麓の花の名所、「神代桜」や「真原の桜並木」などが花盛りになるころと同じくらいの雪量に見えます。

途中のブナ、ナラなどの間をミツバツツジが点綴する平坦な稜線歩きも、すこぶるつきのグー。

こんなふうに大した期待も抱かずにフラッとやってきたのに、素敵なプレゼントを用意してくれている自然・・・。

これだから止められない。

甲斐駒」ファンには絶対お勧めの逸品です。

標高差900m。 上り実働2時間25分。

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